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久しぶりのバヤドリ〜2


バヤドリの南西10キロのところの丘の上に、シマンカス(Simancas)という人口2000人の小さな町がある。



小さな町でも、有名な古文書保存館、史料館があるので良く知られている。




町を乗せた丘の麓にはピスエルガ川がゆっくりとした流れを作っている。



町の中にはバルが沢山あって、まるでバルの町のようだ。スペインの人たちは、どんなに小さな町だろうと生活を楽しむ舞台装置を沢山持っているのが羨ましい。



さて久しぶりのシマンカスを散歩してから帰路に着くことにした。

昼食は街道から外れた丘の途中の小さな村に評判のレストランでするという。

僕はスペインで驚くのは、日本ではこんな立地では絶対にレストランは成り立たないと思うところに、美味しくて評判の店が点在することだ。

スペインでは、評判のレストランは必ずしもばマドリードやバルセローナなどの大都会にあるわけではない。人と富が集中する大都会でしか成り立たない日本のレストラン文化と、小さな町や村でも成り立つレストラン文化の違いは何処に由来するのだろうか。

 

さて村のお目当ての《メソン・セラート》に入ろう。階段で地下に降りるとテーブルが沢山並んでいる。それでまたビックリ。この村の人口から考えても《?》だった。






5人の食事のリーダーはP氏で、ビーノ(ワイン)はこの地域の若いもの(joven)を指定したら、ウェイターのお薦めがラ・プランタというものが出された。
これは日本でも人気が出ているもので、スペインの固有種の葡萄テンプラニージョが100パーセント。


では料理は。

5人であれば数種類の前菜をとって、全てを少しずつつまむのが楽しい。


《ニンニクのスープ:sopa de ajo》:
ニンニク、硬くなったパン、ピーマン、ソーセージなどをスープで煮込んだもの。
《鱈とズッキーニの卵とじ:revuelto》。
《インゲンと牛モツの煮込み》。
《ガスパッチョ》などを少しずつ楽しんだ。


さてこれからが主菜のレチャッソの炙り焼き(lechazo asado)。生後3〜4週間の仔羊の料理で、上手に炙れば乳臭さがなくなって本当に美味しい。
カスティージャ地方に来たら何はともあれ、名物のレチャッソ(仔羊)かコチニージョ(子豚)の炙り焼きを食べなくては来た意味がない。




素晴らしい週末だった。









Lauburu | スペインで | 06:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

久しぶりのバヤドリ〜1

長女の義理の父のP氏が参加する、カヤック2人漕レースがバヤドリ(Valladolid)市内を流れるピスエルガ川で行われるので、車で4時間かけて応援に行った。

マドリードに住んでいたときはバヤドリは近くて良く訪問したものだったが、今回は7年振り位だろうか。

正午に着いて車から降りると、これぞカスティージャの気候が待っていた。強烈な日差しと乾燥し切った空気、イルンとは全く違う国に来たようだ。

 

カヤックの競漕は夕方の5時30分からなので、先ず市内の建物を見に行こう。

旧市内の中心部には僕の好きな素朴なロマネスク様式の《サンタ・マリア・デ・ラ・アングスティア教会がある。



12世紀初頭に建てられたロマネスク様式の塔と玄関に、14世紀にはゴシック様式で建て増しされたが、相変わらず素朴さは失っていない。結婚式があるようで大勢の人が集まっていた。


ここから北に約10分歩くと、サンパブロ教会と国立彫刻美術館(旧サン・グレゴリオ神学校)が一体になった建物がある。


























この建物は15世紀終盤に建てられたもので、後期ゴシック様式にスペイン独特のプラテレスコ(銀細工)様式が加わったものだ。教会も美術館もファサードは建築というよりも銀細工のような融通無碍な装飾過剰の彫刻を見ているようだ。

 

12世紀初頭に建てられた素朴な《アングスティア教会》と、15世紀終盤に建てられた金に糸目を着けない《サンパブロ教会》と《サングレゴリオ神学校》を比べると、この約400年の間で如何に宗教が権力になって富を集めたのかが良く分かる。

 


また旧市街の南にはセルバンテスが晩年に住んだ家が保存されている。しかし整備のし過ぎで7年前とはかなり違っている。400年前の雰囲気は全く感じられなくなった。





さてもう2時だ。お腹が空いたのでバルが集中する地区に行ってみようか。今日は祭りの日でバルというバルは道にテーブルを出して多くの人を集めている。


《生ハムを削る人》


もう我慢できない、先ずは生ハムと汗をかいたので生ビール。


《鰯を焼く人》


炭の上でこんな焼き方もあるのだ。3匹注文してパンの上に乗せてもらってから自分でオリーブ油をかける。

むかし僕の大先輩がイタリアに仕事で行ったとき、安食堂の店先で鰯の塩焼きをしているのを見てたまらず注文したら、鰯にオリーブ油をかけて持ってきたのでガッカリして食べ残したそうだ。時代が変わったのか僕が変わっているのか分からないが、鰯の塩焼きの骨を外して薄切りのトーストに乗せてオリーブ油をかけてみてください。生臭さが消えてまろやかな味になり赤ワインにぴったりのつまみになりますよ。


そろそろ5時30分が近づいてきた。おしまいはモスカテル(マスカットを原料にした甘いワイン)で昼のバル歩きをおしまいにしよう。


 


さてお目当ての2人漕カヤックのレースの応援。


《位置に着いて》

一番奥の白い帽子がP氏のペアー。


《安定したペース。後ろがP氏》


堂々壮年の部10キロ漕の1位になった。


来週にカタルーニャのジローナで行われる、世界選手権に向けての前哨戦は満足の行く結果だったのだろう。




Lauburu | スペインで | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

トライネラとチャラパルタ

 スペインの北部、カンタブリア海に沿った地方ではトライネラ(trainera)と呼ばれる小舟の競漕があるが、バスク地方でも極めて盛んである。

古代のガレー船を彷彿させる14人乗りの舟で、漕ぎ手は先頭に1人、その後に2人ずつ6列に配置される。一番後ろはペースメーカーと操舵を兼ねるコックスが1人。直線距離の競漕とは限らないので、回転するときにはコックスが日本の艪のようにオールを扱う。

秋になってシーズンが始まると、チングーディの入り江でもトレーニングが始まる。



バスク地方では12地区の代表が覇権を争い、それぞれが地区の伝統と名誉をかけているので必死だ。また地区代表に選ばれるのも大変な名誉で、1年かけて鍛錬する。

1分間のストローク数は短艇よりも舟が大きいので35〜40で、約5,600mを20分、時速17キロ前後で漕ぎ続けるのを見ているとこちらの息が上がってくる。

競漕はサン・セバスティアンのコンチャ湾のような内海で行うことが多いのだが、内海と云っても海は海、風が強くなるとうねりと戦わなければならない。うねりの突端から谷に降りると、一瞬舟は見えなくなりまたうねりの上に姿を現す。

『エッサ エッサ』。オールで水を必死に掻く漕ぎ手を見ているとスポーツを超えた何か精神的ものを感じるのだ。

 

まして女性の競漕ともなると、よくもこんな競技をと思う。一番でゴールに入ったトラ

イネラの14人がひたすら涙を流していたのは印象的だった。肉体の限界を極めた後は嬉しいとか感激したとかではなく、ただひたすら涙が出ると言う話をツール・ド・フランスに勝利した選手が云っていたのを思い出す。

現在では舟はFRP製だが昔は木製だったので、どんなに苛酷な競漕であったのだろうか。


バスクにはチャラパルタ(txalaparta)と呼ばれる原始的な木琴がある。昔は山の民が通信用に使ったもののようで、スイスアルプスやイタリアのアミアタ山系の裏声と同じような目的を持っていたのであろう。

板はハンノキ(aliso)やトネリコ(fresno)や栗(castanyo)などの硬い木材で、昔は2〜3枚の板を並べたものであったそうだが、最近は10枚以上のことも多いという。






Lauburu | スペインで | 06:43 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

汝の名が隠すもの(2010年度ナダル賞作品)

2010年度のナダル賞作品、女流作家クララ・サンチェスの《汝の名が隠すもの:

Lo que esconde tu nombre》を読んでみた。著者は1955年生まれというから今が円熟期の作家なのだろう。


最初の数ページを読んだとき、テーマがスペイン内戦に破れたスペイン共和政体支持者が、反乱軍のフランコを支持したナチによって悪名高きオーストリアのマウタウセンの収容所に送られたが九死に一生を得て、ナチの残党に復讐する物語と分かった。


今となっては加害者も被害者も、もし生きているとしても80歳代からら90歳代であろうから、取り上げるテーマとしては何か時代錯誤ではないのか。まして今さら地中海のアリカンテ市の郊外にナチの残党のコロニーがあるとは、いくらフィクションとは云っても荒唐無稽過ぎないか。スペインでそのようなことがあり得ることなのだろうか。

 

そこで調べてみたら驚いた。ヒトラーを崇拝していたアルゼンチンの独裁者ペロンがナチの戦犯をかくまったのは知っていたが、何とフランコの時代には、多くのナチの残党を受け入れてかくまい、ひそかに住宅まで与え、おまけに世界に散らばるナチの残党を経済的に援助する結社《SS(ナチ親衛隊)同志会》の本部がマドリードにあったことがわかった。決して荒唐無稽な話ではなかったのだ。スペインでナチの戦犯が隠れおおせた事実を僕は殆んど何も知らなかっただけなのだ。

 

事実、最近でもヒトラーの親衛隊長だったオットー・エルンスト・レメールが1997年にコスタ・デル・ソルのマラガで死んだことが確認されているそうだし、ナチ最大の犯罪者で、収容所で麻酔もせずに拘束者の手足を切り取り、《マウタウセン収容所の屠殺人》と怖れられたアリベルト・ハイムが、2005年現在でカタルニアの何処かに潜伏している証拠をドイツとオーストリア警察は掴んでいたということだ。


スペイン警察の捜査によれば、このハイムの逃亡を助けたのがノルウェー人のフレデリック・イェンセンで、彼は戦犯で10年の刑期を終えた後、いまはコスタ・デル・ソルの高級リゾート地のマルベージャに住んでいという。

これらを考えると、今でも南米を中心にナチの戦犯を弁護し、ネオナチが台頭するする雰囲気がある中で、著者はフランコがナチの残党の擁護したことや、スペインが未だにナチの残党の隠れ家になっていることや、ネオナチの動向を明るみに出しながら、ナチの残党と彼らを庇護するものを告発する意図があるのか。

 

巻末で著者は気候が温暖なスペインの地中海沿岸で、のうのうと老後を送った実在のナチの戦犯に霊感を得てこのフィクションを書いたと云うが、実名を使ったのは異様なサディスト、アリベルト・ハイムだけだと云う。今でもスペインの何処かで生き延びているかも知れない、アドルフ・アイヒマン以上の冷血な男への嫌悪感なのだろう。

 

《ストーリー》

物語は元ナチ党員だったノルウェー人の老夫婦に、80歳を超えるナチの収容所で九死に一生を得たフリアンという男と、ナチとは何の関係もない無邪気な30歳位のサンドラという女性が絡んで展開してゆく。

 

ナチの残党を憎みつつ、今は娘と二人でブエノスアイレスに住む元スペイン共和党員のフリアンに、昔のマウタウセン収容所での同志でスペインに住むサルバから遺言が届いた。

ノルウェー人であるがナチのアーリア人至上主義に共感してヒトラーユーゲントに入り、多くのユダヤ人と反ナチを収容所で虐殺したフレデリック・クリステンセンと、共犯者である看護婦だった妻のカリンが地中海のコスタ・ブランカのアリカンテ郊外の別荘地に住んでいるのを見つけたというのだ。


もうフリアンは80歳台の後半、フレデリックとカリン夫妻は90歳前後だ。フリアンは心臓発作のためのニトログリセリンをポケットに忍ばせながらスペインに飛び、レンタカーで夫妻が住むトサレ地区で監視を始める。

ある日、フレデリックが買い物に行くのを追跡してゆくと、ある家の前で30歳前後の女性サンドラを拾って浜辺に行くのを目撃する。

その後も監視を続け、フレデリックが買い物をしている大きなスーパーの物陰から、フリアンは衝動的にフレデリックに《お前の素性は分かっている》と脅しを掛けた。

その数日後にホテルのフリアンの部屋が滅茶苦茶に荒らされる。手を引けという警告だった。フリアンは老フレデリックには屈強な仲間が居るという恐怖を感じる。

 

サンドラは結婚する気がない男、サンティとの6ヶ月の子供をお腹に持ち、アリカンテの海岸近くの姉の別荘を借りて将来の思案をしている。バイクで浜に行くのが日課だったが、何時も浜辺で老夫婦が日光浴しているのに出合っていた。


ある日、浜辺でサンドラは急に吐き気を催して倒れ老夫婦に介抱される。老夫婦は彼女を彼らの家《太陽荘》に連れて帰り手厚くもてなした。その後、時折サンドラを老夫婦が迎えに来て、一緒に浜辺に行くようになる。サンドラは彼らを実の祖父母のように慕うようになってゆく。


しかし、フリアンがフレデリックの脅しを掛けたとき以来…勿論サンドラは知らないが…、フレデリックはサンドラの家に迎えに来なくなった。彼女が懐かしさのあまり彼らの家に会いに行くと留守で、近所の彼らの別荘仲間の家での仮装舞踏会に居るのを偶然垣間見るが、老夫婦の用心棒らしき男に捕まって老夫婦の家で待たされることになる。仮装舞踏会でフレデリックはナチの軍服を着ていたが、そのときには若いサンドラは意味も分からず気に留めない。彼らが遅く帰宅した翌朝に、彼女は懐かしさのあまり探し回ってしまったと言い訳し、フレデリックは数日旅に出るのでサンドラにカリンの相手をして欲しいという。

 

フリアンはサンドラが老夫婦の動向を知っているかも知れないので、ある日、貸し別荘を探している振りをしてサンドラの家に入り込み、サンドラが極めて危険なナチの残党のなかに巻き込まれているのを示唆し、サルバが送ってきた老夫婦が写っている最近の地方紙の切り抜き写真をサンドラに見せて確認させる。しかしサンドラはフリアンを妄想に取り憑かれた老人としか思わない。

 

フリアンはフレデリックを付け回しているうちに、ナチの残党とスペイン人のシンパのネオナチが集まるノルディック・ゴルフクラブに行き着き、そこで行方不明の残虐行為の大物たち、《マウタウセン収容所の屠殺人》アリベルト・ハイムや、《SS同志会の創始者》オットー・ワグナーや、《ヒトラーの親衛隊長》アントン・ボルフも生きていることを確認する。


フリアンはゴルフ場を監視するうちに、ボルフがファウェイで心筋梗塞で急死したのを見た。彼の葬儀を遠望した彼は、ボルフの妻のエルフェが皆から浮き上がっているのを見て、彼女から何かを上手く聞きだせないかと考える。

ボルフの葬儀の帰りにフリアンはハイムの後をつけて、港に係留する彼が乗り込んだ船が彼の住居であることを確認し、その足でエルフェの家を訪ね、急性アルコール中毒で意識不明彼女を介抱した後で、彼女が持つ若い頃のヒトラーユーゲントのアルバムを盗んで帰る。その後にエルフェは行方不明になる。

 

サンドラもフリアンの云うことは信用しなかったが、彼がパーティーで着ていたナチの軍服が気になって隙を見て家捜しするが見つからなかった。ただの借り物の仮装衣装ではないかとも思う。その後、クリステンセン夫妻がゴルフに行って留守のときに、時間決めのドイツ系の中年の家政婦フリーダがナチの軍服に丁寧にブラシをかけるのを偶然見て、フリアンの言葉は真実かも知れないと思い始める、クリステンセン夫妻の厚情に惹かれつつも。

 

彼女はカリンの誕生パーティーの買い物に付き合い、カリンの部屋でドレスと宝石のアンサンブルをチェックしているときに、フリアンが示唆したナチの金十字勲章が宝石箱の中にあるのを見つける。
フレデリックは何人殺してヒトラーから金十字を叙勲されたのか。彼女は目の前の沢山の宝石が持ち主の命とともに奪い去られたものと推測して戦慄を覚える。この事実を、町外れの何時もの情報交換の場所のアイスクリーム屋でフリアンに知らせると、彼はもう充分だからサンドラに彼らから離れて普段の生活に帰れと助言するが、此処まできたら手を引きたくないと彼女は云う、義憤を感じたのだった。

 

誕生パーティーは豪華を極め、ナチの残党の老人たちのほかに、スーツとネクタイをしているがチンピラヤクザにしか見えない若者たちも集まって、老人たちに敬意を捧げているのにサンドラは驚く。そして彼女はフリアンに薦められて買った、ロットワイラーの仔犬をカリンにプレゼントしたが、その時のカリンの反応に困惑した…彼女は知らなかったが、ロットワイラーはフレッドとカリンが収容所で政治犯を痛めつけるのに使った犬だったのだ。サンドラは途方に暮れたがネオナチの通称《ウナギ》が仔犬を預かることになった。


そのときサンドラは人生哲学を語りかける黒装束の物静かな男に出会う。

 

フリアンはサンドラから黒装束の男の風体を聞いて、彼は間違いなく死んだはずのセバスチアン・ベルンハルトだと直感する。フランコがクーデターを起こしたときに、ヒトラーの側近だった彼の尽力でヒトラーの協力を実現させたので、フランコにとっては恩人でナチ崩壊後にフランコが手厚く保護した男だった。


他の戦犯と違ってインテリであり組織化能力もあるので、フリアンは最も危険な人物と考えていた。もし生きているとしたら何処に潜んでいるのか。

 

フリアンはカリンの犬への反応を見るためにサンドラを利用したことを白状して謝ったが、サンドラは裏切られたという感じを拭えない。


サンドラは人生で勉強にも仕事にも興味がなく碌なキャリアーもない、職業訓練所を出て会社に入っても1年で鬱病になって退社。このとき親切だった男の子供を孕んでいても結婚するきにもなれない。生まれて来る子供にこんな母親でも良いのかと自問する。ついこの前まで知らなかったナチの戦犯の存在。自分も周囲も、自分を全くの役立たずと思っているのを知る彼女は、自分の存在価値を確認するためにフリアンに協力して、ぬくぬくと生き延びている恥知らずたちの化けの皮をはがそうと決心する。
しかし彼女が彼らを疑い始めるのと同時に、彼らもまた彼女に不信感を持つようになる。

 

ある日、サンドラがフリアンと情報交換して帰ると、バッグの中の衣服が表に出されて、その中に入れておいたフリアンが渡した地方紙の切抜きがベッドの上に置いてある。彼女は狼狽したが《毒を食わば皿まで》と、フリアンの入れ知恵で、切抜き写真を金縁の額に入れて2人にプレゼントするために、スポーツクラブで地方紙のフリアンとカリンの写真を見て切り取っていたととぼけ通す。


しかし、したたかなフレッドはお見通しで、あるとき彼女に《自分が君を庇わなかったら、君は海の底に沈んでいるだろう》と云ってナチの残党とスペインのネオナチの若者で構成する《同志会》に入れと強要する。

そのうちにカリンの老年性関節炎が酷くなると、ネオナチの若者が届ける何かを注射して元気になるのにサンドラは気付く。アンプルの中身の注射液は何なのか。

そして注射液はオットー・ワグナーと妻のアリスが取り仕切っていて、カリンは手持ちの宝飾品と物々交換せざるを得ず、丸裸にされるという危機感を募らせていることが分かって来る。

 

サンドラは掃除婦のフリーダが気付く危険を覚悟で、浴室のゴミ箱から使い捨ての注射器を取り出して丁寧に包装してホテルのフリアンに会いに行くが不在なので、彼の誕生祝と称して注射器を花束に隠してホテルのコンセルジェを通してフリアンに渡す。

花束が意味することがやっと理解できたフリアンは、電話帳で探した研究所に注射器を持ち込んで、息子が何か分からないものを注射していて麻薬ではないかと疑っていると云って分析を依頼する。

 

しかしフリアンが気づかないうちに、彼はナチの残党と彼らの子分のネオナチの若者にマークされ、手配写真まで出回っているのを気付いたサンドラは、慌てふためいて危険を覚悟でフリアンに報告しにホテルに行く。

フリアンは情報をもとに警戒しながら分析結果が出るまで調査を続け、そこで知ったのはナチの残党の《同志会》の黒幕、セバスチアン・ベルンハルトを後ろ盾にしてアリスが注射液を取り仕切っていることだった。

 

分析結果が出るのを待って、翌日、研究所の終業間際にフリアンは研究所を訪れて所長から分析結果を聞いて驚いた。ビタミンやミネラルの複合物以外の特別なものは検出されなかったという。またこのようなものを注射しても強壮剤として少しは効果があのかもしれないと説明される。

舞台装置を整えたセバスチアンやアリス一派の詐欺だったのだ。

 

サンドラに会って分析結果を知らせるまでの間、フリアンは本来の目的である冷酷さの権化のアリベルト・ハイムを追い詰めるために彼の動静の観察を続ける。

港に係留した船に住み、他の《同志》とは少し距離を置いて、1時間以上市場を歩き回り、高価な魚を買って船で料理し、高級な葡萄酒で一人夕餉の祝宴を張り、食後に天空の星を眺めるという、整然と囚人たちを切り刻む実験をしたのと同じ、殆んど精神病とも思える几帳面な日課だった。


フリアンは彼の日課が分かったので、彼が留守の間に船の中に忍び込み、悠々と中を調べて、洗面所の石鹸と花瓶の生花を一本とキッチンのナイフ、そして冒険小説の表紙で偽装された彼の自筆の実験ノートを見つけて盗んで帰った。

ハイムは最初、市井の名も知られぬ人間の船に興味を持つ人間は居ない、物があるべきものがあるところにないと云うことは自分の耄碌が進んだものと考えたが、

徐々に不安になる。そこでフリアンは揺さぶりをかけるために、ハイムの留守を見計らって船に忍び込み、先日盗んで帰ったものを元に戻した。


ハイムは完全に動揺してナチの残党の精神的支柱であり、ネオナチの訓練者のセバスチアン・ベルンハルトの家に駆けつける。

 

その後、フリアンはネオナチの若者、《ウナギ》にサンドラに近づくなと脅されたり、サンドラはフリーダの監視が邪魔で情報交換の機会が作れない。

そして中年女のフリーダは《ウナギ》に熱を上げるが相手にされず、《ウナギ》はサンドラに興味を持ちサンドラも彼のことが忘れられなくなる、これがフリーダのサンドラへの監視を一層厳しくする。一方で、フリアンは《ウナギ》が海岸で他の女性と一緒のところを見ているので心配する。

 

そのうちにカリンのアンプルが3本入った箱から1本がなくなり、フレッドとカリンはサンドラがアンプルを盗んだのかと問い詰めるが、サンドラは知らないものは知らないと言い張る。

疑われたサンドラは魔法の液体の正体が分かった今、もうすることはないとマドリードに帰ると宣言して荷造りを始める。カリンが部屋に入ってきて帰り支度のサンドラのハンドバッグの中を探り始め、トイレットペーパーに包まれたアンプルを取り出した。呆然とするサンドラを部屋に残してドアの鍵を掛けて閉じ込める。


サンドラはフレッドとカリンがアンプルを、彼女を《同志会》に引き込む罠に使ったのだと直感する。


その後、フレッドとカリンはアリス、オットー、セバスチアンを呼んでサンドラに、ここまで知ったからにはナチの残党とネオナチのスペインの若者で作る秘密結社《同志会》に入れと脅しにかかる。サンドラは心に映画《La semilla del diablo(ローズマリーの赤ちゃん)》を思い浮かべて、お腹の子供が恐怖を克服する力を彼女に与えているだと確信する。

 

フリアンはセバスチアンを監視するうちに、彼はネオナチの若者を運転手にして一緒に行動して多彩な仕事をこなすが、時に一人でレストランで食事することもあった。それはフリアンが彼と個人的に接触出来るチャンスだった。

その折にフリアンは彼のテーブルに行ってフルネームを云い、自分は戦争末期にマウタウセンに居たスペインの共和党員で、その後にナチ狩りに専心する組織に加入したと自己紹介した。


セバスチアンは超然として、フリアンがマウタウセンで過ごさなければならなかったとは残念だったと云う。自分は人々を苦しめる意図は持ったことはなく、より良い世界を作るために戦ったのだ。凡俗は何をしたいのかが分らないので、世界は幾ばくかの人物が手綱を取り、凡俗を導くからこそ常に改善されるのだ、戦争で負けたのは我々ではなく世界が負けたのだ、人類が負けたのだ。我々は凡庸を排し、卓抜へ跳躍するのを望むのだと云う。


フリアンはセバスチアンに、ナチは略奪者で他人の努力や才能を我が物にした。他人の生命を盗んだ、しかしあなた方はそれを生命と呼ばなかった、人間の素材と呼んだのだと迫る。

彼は時には歯止めが利かないことがあったと云う。


フリアンは何百万を殺すことが、歯止めが利かなかったで済むことか、人間の素材に追いやら
れた人間の苦しみ、屈辱、苦痛をあなたは理解しているのかと迫る。

セバスチアンは云う、現実の大きな歴史的転換の瞬間では、小麦と麦わらを分離する時間はない、私は何時も世界を変えるためにこの世にやって来たと考えた。私の人生は目的、使命を持っていた、美しい惑星が頭の中にあった、あなた方にしたことは個人的な問題のためではなく、善悪を超えた高位の理由からなのだと云う。


何百万の殺人に何かの責任を感じることや、過ちへの責任感、良心の呵責、後悔は人類の進歩を抑制する、人は牛を解体したり、羊毛を利用するのに羊の毛を刈るのに良心の呵責を感じるだろうか。人は誰も、行ったことで自分を痛めつけるのではない、行わなかったこと、何もせずに死ぬことで痛めつけるのだと云う。


セバスチアンはフリアンに、あなたは私を許さないだろうし、私は後悔しないので、我々は和解できないだろうと云う。

フリアンはセバスチアンを殴りつけたい衝動に駆られるが、一方で自分とは役者が違うと感じる。

《注》この一連のセバスチアンの言葉で、僕はスペインの碩学ホセ・オルテガ・イ・ガセーの《大衆の反逆(La rebeliòn de las masas:1929年》を思い出した。


ドイツで学びニーチェ哲学に影響を受けたオルテガは
、現代で力を持ちつつある大衆を、《己が為すべきことが分からないうえに、諸権利を主張するばかりで、しかも凡庸たることの権利までも要求する》と定義し、それだけに現代こそ選良を必要とする時代だと主張する。

しかし彼が云う《選良》 とは《自分は他に優る者だと信じ込んでいる思い上がった人間ではなく, たとえ達成出来なくても,他の人々以上に自分自身に対して、多大で高度な要求を課す人のこと》 と定義する。


この選良が機能しないと、少数の政治的扇動者によって扇動される大衆が全体主義の勃興の土壌になる。

まさにこれが悪夢ヒトラーを生んだのだった。


ナチはニーチェ哲学を都合の良いように歪曲してイデオロギーとしたが、作者はセバスチアンに語らせる言葉で、ナチの《我らアーリア民族こそ、世界に冠たる民族だ》という手前勝手な選良意識を、作者は暗にオルテガの選良の定義と対比させているようだ。

 

サンドラはフレッドの家の部屋に閉じ込められ、風邪の熱で朦朧となりながら誰かが助けに来てくれると妄想する、だがフリアンは年を取りすぎているし、頼みは《ウナギ》だけだったが、まだ顔を見ていない。風邪による熱がますます酷くなってきたのに、フレッドの家に《同志会》のメンバーが集まってサンドラの入会式が行われることになった。式典の途中で朦朧となったサンドラに《ウナギ》が近づき強引に2階の彼女の部屋に連れてゆくが、そこにはフリーダが居て彼女を《ウナギ》から取り上げる。


サンドラはもう逃げる他はないと、窓の外の木の枝に飛びついて下に行こうとするが後ろから抱きとめられる。《ウナギ》だった。彼は先ず自分が枝に飛びついてから彼女を抱きかかえると云って枝に飛びつくが地面に落ちてしまう。サンドラも続くが枝に掴まり切れなくて落ちて脇腹を打つ。

《ウナギ》が近づいてサンドラを担いで停めてあった車に行き、彼女を救急センターに運び込む。

 

フリアンはホテルの部屋に突然《ウナギ》が忍び込んで来たのを見て殺されると思う。しかし彼はフレッドの家に戻らなければならないので、直ぐサンドラに会いに病院に行けという。

病院に着いたフリアンは彼女が重篤な病気なのか心配したが、風邪の熱と強度のストレスによる疲労だと分かって安心する。


退院したサンドラとフリアンはホテルの裏口からこっそりフリアンの部屋に入る。サンドラはカリンを世話して得た現金も、僅かばかりの衣服もリュックに詰めたままフレッドの家に置いてきたので何も持っていないといい、自分の物がフレッドのところにあるのは耐え難いと嘆く。

そこでフリアンはフレッドに会いに行く決心をする。

しかし彼らがサンドラとフリアンの部屋を関連付けるのは時間の問題で早く彼女を町から遠ざけなければならない。フレッドの家での万が一のことがあることに備えて、翌日の早暁のマドリード行きの長距離バスの切符をサンドラに渡して駅までの行き方を指示する。

 

フリアンはフレッドの家に行って名を告げると、彼は手配写真の男だと分かった。

フリアンはサンドラの知り合いで、彼女のものを受け取りに来たといった。彼は何故フリアンがサンドラのものに関心があるのかと訊き、ゴキブリを見るかのように彼を見下して、此処に来たからには君の生殺与奪は私の手中にあるという。


フリアンはそれでは秘密事項を彼が知らないままになると云って取引をする。フレッドは秘密に価値があればサンドラの持ちものを返そうと応じる。


フリアンはアンプルの中身は何処でも買える濃縮複合ビタミンだと告げるが、フレッドはそれを注射するとカリンは確かに良くなると云う。フリアンはそれはプレシーボ効果で、一瞬は良くなっても後にさらに悪化するのだ、あなた方の命を伸ばすわけでもなく、カリンは車椅子から立てなくなる一歩手前に来ていると告げる。


フリアンは信用しないなら自分で分析を頼めと分析結果をフレッドに渡す。彼は家の中に入ってサンドラの持ち物を持って出てきてフリアンに渡す。

 

フリアンは帰って持ち帰ったものをサンドラに渡し、彼女は安心して寝込む。早暁5時にフリアンはサンドラを起こしてバス停に行き、バスが走りだすとサンドラは手を振って永遠のサヨナラを云い、彼らはお互いが視界から消えるまで目を離さなかった。

 

フリアンは足の向くまま港に向かったが、そこにはもうハイムのクルーザーはなかった。彼らは精神状態が普通でなくなったハイムも、エルフェと同じように捨てたのかも知れない。如何にハイムであろうとも厄介者に成り下がったのだろうか。

 

フリアンはもう仕事は終わった、ブエノスアイレスに帰ってもすることもない。ここでサルバと同じ最期を向かえようと決心する。


彼はホテルに帰り、もう休暇は終わったので国に帰ると云ってホテルを引き払う。彼は尾行されないように気を配りながら、サルバが最期を送った老人施設に行って入居を申し出たうえに、責任者のピラールに無理を行ってサルバが住んでいた部屋を空けてもらう。そこで仰天したのは夢遊病者のようなエルフェが入居しているのが分かったことだった。

数日後にもっと驚くことが起こった。ハイムが施設に入ってきたのだった。老いの迷妄を感じ取って生き延びるために施設に来たのかも知れない、もうハイムは彼の手中にあった。

 

フリアンは隠してあったエルフェのアルバム、ハイムと自分のノートを取り出して、彼が以前属していたナチ狩りの機構に、ナチの残党たちの住所を書いて送った。しかしハイムの住所は除いた、ハイムはフリアンのものだからだ。

 

ある日、フリアンはピラールの買い物に同行して店の前で待っていると、30歳代の

女性に声をかけられる。彼女は《ウナギ》は《同志会》に潜入した刑事で彼女は彼の連絡員だと云う。さらに《ウナギ》は交通事故に見せかけて殺されたこと、彼は本気でサンドラを愛していたことを告げる。フリアンは《ウナギ》が彼をサンドラに近づくなと脅したのは彼女を救うためだったのだと分かる。

 

フリアンはサルバが彼にしたように、死後にサンドラに送ってもらう手紙を書きピラールに預ける。そのなかで《ウナギの》死には触れなかった。彼女に《ウナギ》の幻想を捨てさせる強い愛が現れるのを期待して。

 

フリアンは手紙が投函される日が来るまで、ハイムを発狂させることに専念する。方法は収容所で彼らがフリアンに教え込んでいるから。

 

サンドラはマドリードに着くと、両親が喧嘩ばかりする家に真っ直ぐ向かう。以前は考えられないことだったが。彼女は子供の父親のサンティの良いところが理解できるようになり、彼もサンドラが理性的になったのを喜ぶ。サンドラは子供の名前をフリアンとし、通称はハシンと呼ぶことにしたとフリアンに伝えたくてホテルに手紙を出すが返送される。もうアルゼンチンに帰ったのだと思う。

 

彼女は姉と一緒にショッピングセンターに小さな区画を借りて装身具店を開く。商売は軌道に乗って店員を雇うまでになり、過去の思い出に浸る前に疲労困憊してベッドに潜り込む。

生まれた息子のハシンは6ヶ月になり、サンドラは彼に素敵な環境を与えたくて、祖父母を含めた一族郎党で姉の海辺の別荘に行くことを姉に説得する。


別荘についてから暫らくして、サンドラはバイクに乗ってフレッドの家を見に行くが

もう他人に貸してあり、オットーとアリスの家は雑草だらけの廃墟になっていた。最後にフリアンとの情報交換場所に行くとアイスクリーム店は小さなレストランに代わっていた。そこで会えなかった場合にメモを残すことにしていた石の下には、プラスチックの袋に入ったフリアンが残した小さな箱があった。
サンドラは代わりにフリアンに貰った《お守り》を石の下に置く。自分はいま幸運で満ちているので、フリアンも幸運に恵まれますようにと祈りながら。

 




追うほうも追われるほうも、もう傘寿や卒寿を過ぎていて、生き延びようともがくもの、復讐を果たそうと喘ぐもの、古希を過ぎた人間にとって身につまされる思いだ。

マドリードに去っていったサンドラを思い出しながらフリアンがつぶやく:《彼女はどうなるのだろう、そんなことは知る必要はない、私はもう過去の人間だから》

老境に入ると、自分が現在の人間なのか過去の人間なのか判断するのが難しくなるが、欲目でどうしても現在の人間と思いたくなる。他人が見れば滑稽なくらい明白なことであっても。

 

 

 

 

 

Lauburu | スペインで | 07:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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