2017.04.17 Monday
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闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2010.10.30 Saturday
ロンドンに向かう乗り継ぎ便の関係で、マドリードに1泊することになった。
それでは1993年から2006年までの13年間持っていたピソ(マンション)の近辺を訪ねてみよう。
マドリードを大雑把に4分割すると、僕のピソは第一象限にあたる北東部のチャマルティン(Chamartìn)地区にあり、閑静な住宅街も多く静かで住みやすいところだった。
(1)ピソはオルーロ(Oruro)街14番地。
よほど詳しい地図でないと載っていない小さな通りだったが、直ぐ傍のメインストリートに出ると、早暁でもタクシーを拾えるし、空港まで乗って12分の地下鉄が開通したり、本当に便利なところだった。
ここには、仕事で僕をサポートしてくれた、会社の内外の若い人たちが訪ねて来て泊まっていったものだった。
その数をあらためて思い出すと、20人近くになっているのに驚くし、今でも僕が日本に帰ると、楽しい飲み会を持っている。
皆さんとレンタカーでスペイン中を走り廻った楽しい記憶も山ほどある。
では久しぶりにピソの周辺を歩き回ってみよう。
(2):先ずピソの玄関を出て左に1分。
全国展開する激安ショップのディア(Dìa)がある。入り口はショボイが中はかなり広い。ここでは何処で買っても同じもの、重いもの、嵩張るもの、つまりビール、ヨーグルト、トイレットペーパーなどを専ら購入した。何しろ安いのでレジは何時も長蛇の列だった。
(3):玄関を出て右に1分。
品揃えの豊富な葡萄酒店(vinoteca)のチャラマスカがある。ここが僕の葡萄酒(ヴィーノ)の知識の吸収場所だった。親切に教えて呉れた店の主人が何時行っても少々酒臭かったのは可笑しかったが。
(4):葡萄酒店を通り過ぎて3分。
生鮮食品を扱うチャマルティン市場がある。評判の市場で商圏も広く何時も大変な賑わいだった…肉、魚、ハム、チーズ、野菜、果物などを買ったものだった。
そのなかでもお気に入りは魚屋だった。大変な評判の店で9時の開店の時間に行っても何時も先客が5〜6人は居た。
ここが珍しいのは《マグロのさく》を売っていることだった。
スペインではマグロの裁割方法が日本とは違うようで、どこの魚屋に行っても《さく》を見ることは殆んどないのだが。
とくに《トロ(ventresca)のさく》が出たときにはすかさず買ったものだ。日本のトロの値段の4分の1位だから。
活きは良いのだが、スペインでは生食を前提に流通させていないので、そのまま食べるのは少しはばかられる。
そこで家に帰って大量の塩にまぶして15分。身を締めてから塩を洗い落として布巾に包んでザルに乗せて熱湯を回しかける。普通は火が通り過ぎないように氷水に取るのだが、スペインでは念のためにそのままにして少し中まで熱が届くようにしておく。
削ぎ切りにして《漬け》にしても良し、最高のオリーブ油と塩を振りかけてカルパッチョにしても良し。
今回マグロの写真を撮っても良いかと訊いたら店員は僕の顔を覚えていた。何しろマグロを良く買いに行ったものだから。
《日本ではマグロのハラミ(ventresca)をトロ(toro)と云うんだ》と教えたとき、店員が人差し指で角を作って雄牛の真似をしておどけたことがあった。Toroは雄牛のことだから。たあいの無いことで僕を覚えていたらしい。
(5):ピソの玄関を出て右に行くと、南北に走るベルガラ大通りがあって、これを横断して北に3分歩くと僕の好きな海産物のバルのマルベージャ(Marbella)がある。
1階がバルで地下が気の置けないレストランになっている。
凝った料理はないが、何しろ素材が新鮮なので何を食べても美味しい。とくに車えびや手長エビの鉄板焼きは他では味わえないものだった…ペルセベスも良し、ナバッハスも良し。
スペイン料理は胡椒などの香辛料をあまり使わないのが特徴だが、肉にしても
魚にしても野菜にしても、素材が新鮮なので下手な小細工をしないほうが良いようだ。
売り物のショーウィンドーに強い西日が当たって良く撮れなかったのは残念だった。
(6):さてマルベージャから北に徒歩で10分。
大規模なハイパーマーケットのアルカンポがある。こちらでは大規模スーパーマーケットをハイパーマーケット(hipermercado:イペールメルカド)と云うらしい。
ここでも生鮮食品や家電製品…洗濯機、電子レンジ、DVDプレーヤーなどを買ったものだった。
生鮮食品市場を見てもスパーを見ても、スペインの人たちの食料品に対する購買意欲は本当に凄いものがある。40メートル近く並んだレジが何処も長蛇の列になる。
スペインでは食料品売り場に中高年の男性の姿を良く見かける。食料品の買出しなど《男の沽券に関わる》とでも云いたげな日本とは随分違う。
《男の沽券》はもっと別なところにあると思うのだが。
もう一つ忘れられないのは、ピソの直ぐ前のガリシア料理店のリアンショ(Rianxo)だ。スペイン北西部のガリシア地方は海産物の宝庫で、これを出すレストラン。
安くはなかったが、僕を訪ねて来て呉れたた人たちと良く食べに行ったものだった。甲殻類の頭や殻からとったスープで、オリーブ油で炒めた米をじっくり煮込む、ガリシア特有のオジヤは
最高だった。
近年、多分パワーランチなのだろうが、昼食時には高級車で乗りつける人が多くなり、値段ばかりが跳ね上がって(とは言っても日本の値段ほどではないが)、僕の足は遠のいていまったのだが。
時計を見ると7時を廻ったところだ。国立考古学博物館の閉館にまで未だ少し時間があるので足を伸ばしてみよう。
ここはプラド美術館とともに良く行ったところで興味のあるものが多かったが、なかでも《エルチェの婦人像:Dama de Elche》には何か惹かれるものがあった。
この胸像が見つかったのは、地中海のアリカンテから20キロ離れたエルチェで、紀元前5〜4世紀にイベロ人が作ったものと云われている。
2500年経ったいまでも、まるで生きているかのような胸像が目の前に存在するのは、無限に僕の想像力を刺激する。博物館や美術館で見たなかで一番印象に残る胸像だ。
イベリア半島の先住民のイベロ人の出自は定かではないが、女性はこんな顔をしていたのかとしげしげと眺める。目蓋のあたりに何か東洋的なものを感じるのだが。ギリシャやフェニキアがイベリア半島の地中海沿岸にコロニーを築き始めた頃だった頃の話だろう。
軟質な石灰岩を彫ったものなので細かな細工が可能だったのだろうが、それだけに良く完全な形で今日まで残ったものだと思う。表面は灰色だが良く見ると所々に紅殻色の名残がうっすらと見える。当初は彩色されていたのだろう。
大きさは高さが56センチで、背中には直径18センチ、深さ16センチの穴が彫り込まれている。死者の遺灰や遺品が入れられていたと考えられている。と考えると、この婦人はかなり高貴な身分だったのだろうか。
2010.10.05 Tuesday
最近になってもう一度聞きなおしてみた。
僕は違和感なく聞けるのだが、概してスペインの人はファドを感覚的に受け付ないらしい。これは調べる価値のある課題だと初めて気がついた。
スペインとポルトガルの関係は日韓関係によく似ていて、1580年〜1640年のスペインのフ
ェリーペ2世によるポルトガル併合が原因でどうもしっくりしないようだ。
『ポルトガルではスペイン語より英語を使ったほうが良いかも知れない』と云われたこともある。ポルトガルが西ヨーロッパでは唯一イギリスと同じタイムゾーンに属するのは、イングランドの名門ランカスター家と婚姻関係を結んでスペインの圧力から身を守ったりした名残のようだ。
しかしポルトガルがスペインを嫌うのは分かるが、その逆はどうも納得できない。僕にはファドはイサベル・パントッハが歌う、スペインのアンダルシア民謡とそんなにかけ離れているとは思えないのだが。
50年前にアマリア・ロドリゲス主演の映画《暗いはしけ(barco negro:黒い小船を訳した人の日本語能力に最敬礼)》を観てからファドには馴染んでいたし、数年前にオ・ポルト(ポートワイン発祥の地)に行ったときに、タクシー運転手からポルトガル人は誰でもファドを一つや二つは創って歌うのだと聞いて、奄美諸島の人たちの島唄と同じだと親しみを感じたものだった。
さてCDを聴き終わったときに、幸運にも最初に《一角獣(Unicòrnio)》のポルトガル語バージョン、最後にスペイン語バージョンが入っていることが分かった。この2つの歌詞を対比するとスペイン語とポルトガル語は本当に良く似た言語だと云うことが分かる。だが、22行の詩の中に1行だけどう見ても同じ意味のフレーズとは思えないものがある。それはポルトガル語のフレーズの中にfadoという言葉が入っているところだ。
【ポルトガル語では】
わたしは気高いユニコンの足あとを見失ってしまったようだが、それは多分わたしのサダメ(fado)なのだろう
【スペイン語では】
わたしの気高いユニコンは昨日消えてしまったようだが、それは多分わたしの思い込み(obsesión)なのだろう。
2つを並べると『サダメ』が全く意味の違う『思い込み』に変わっている。もしかしたらスペイン人がファドを受け付けない秘密がここにあるのかも知れない。そこで早速Collinsの英葡辞書と英西辞書をめくってみた。
日本語 |
英語 |
ポルトガル語 |
スペイン語 |
運命 |
destiny |
destino |
destino |
運命(サダメ) |
fate |
fado |
|
何とスペイン語にはfateやfadoに該当する言葉がなかったのだ。納得。
僕の感じからすると:
【destino】:ジャジャジャジャーン、ジャジャジャジャーンの運命:厳しいが希望もある運命。
【fado】:これがアタシのサダメならぁ〜のサダメ:ドンズマリでヤルセない人生。
スペイン語バージョンで、そのままポルトガル語のfadoを、似たようなスペイン語のdestinoに無理に置き換えても、fadoの意味する精神的世界とdestinoの意味する精神的世界が全く異なるので、オリジナルの感じは伝わらないので意訳したのだろう。
やや日本のすねて甘ったれた演歌に近い雰囲気のあるファドはスペインには似合わないのだろう。否、そのような甘えを持っていたら、赤土と灰色の岩の塊が我が物顔でのさばっている厳しい気象のスペイン中央部では生き延びられない。だからファド的な少し湿っぽい感覚はスペインの人たちの心の中では育まれないのだろう。風土と言語と国民性との相関は奥深いものだ。
イルンに居て四面楚歌ならぬ《四面西歌》の中で、年々自分の民族を強く感じるようになったのは、日本語でものを考えて来た人間は、好むと好まざると、血の流れにある自分の民族からは逃れられないからだと実感する。そのなかでスペインで歴史書や政治評論や小説を読み始めてかなりのときが経つが、今までの知識がかなり偏っていたかが分かったのが幸いだった。 故加藤周一氏の言葉:《確かに英語は便利な言葉で学ぶ必要があるが、その他に少なくとももう一つの外国語を学ばないと危険だ》という言葉は重みがある。
日本語と若干の英語の知識に加えて、スペイン語を勉強しているうちに言語とは何なのかということが頭の中でまとまり始めた…言語とはそれを母国語とする人たちの文化の凝縮体であると。
僕は学生時代に、何度も世界の共通語を目指すエスペラント語のサークルへの入会をすすめられたが、他のことに興味があることから馬耳東風だった。 しかしエスペラント語は今や消えてしまっている。言葉を支える独自の文化基盤がない言語体系はあり得ないということであろう。
例えばエスペラント語が世界の共通言語になったと仮定しよう。それ自身が文化的基盤を持たないエスペラント語で日本人がスペイン人と話すとき、日本人は自分の文化的基盤や社会通念の概念でエスペラント語を話すだろうし、スペイン人が話すときも同じはずだ。そうであれば充分な相互理解のためには、お互いに相手の文化基盤を勉強しなくてはならず、日本人はスペイン語を、スペイン人は日本語を学ばなければならないという妙なことになる。ここに世界共通語を幻想したエスペラント語の矛盾があるのだと思う。
2010.10.03 Sunday
P氏は1997年と1998年にもK-1(1人漕カヤック)で金メダルを取っており、まさに鉄人というべきか。
この偉業に比べればささやかな、僕の誕生祝いも付け加えて、食事をしょうということになった。
ドノスティア(サン・セバスティアン)の南8キロのところにエルナニ(Hernani)という人口 19,000の町があり、更にそこから南東5キロ奥まったところにファゴジャーガ(Fagollaga)という村がある。
ここに100年前から人々に愛され続け、レストランの目利きの長女の義理の父母が推奨するレストランがある。料理が評判なのは勿論だが、日本人の僕には信じがたい立地なので是非訪ねたいところだった。
一族の経営でミシュランの1つ星を得ていたが、最近、ミシュランの評価にこだわることは、長年の顧客の好みを軽視する可能性があるということから返上してしまったという。見識だと思う。
当然なことながら、ミシュランの調査員の味覚は万人を代表するほど全能ではないので、ミシュランの星の数はレストラン選びの最初の目安で、あとは自分の判断で評価することだろう。
面白かったのは、イルンの書籍店にミシュランのレッドガイドのスペイン版を買いに行ったら、他の国のガイドは揃っているのにスペイン版は置いてなかった。訊いてみたらスペインのことを外国人に教わろうという人はあまりいないからという。
日本でミシュランの日本版が出たときに、あっという間に完売したのとは大違いのようだ。確かにスペインでは外国人の僕には、ミシュランのレッドガイドは参考書として便利なものだ。しかし日本でミシュランの日本版を持つ積りはないのと同じだろう。
ミシュランの星について云えば、スペインには3星レストランが6店あるが、3店がバスク地方、3店がカタルニア地方にある。この2つの地方はいずれもフランスと国境を接していて、好むと好まざると文化交流は避けられない。ここにスペインのレストランにミシュランが付ける星数に、何か不自然さを感じるのは僕だけだろうか。
ファゴジャーガは昔のバスク地方の豪農の家(caserìo)を改装したもので、周囲の風景も合わせて素晴らしい雰囲気を持っている。100年前から地区、地域、地方の人々に支持されているので、かなり高価な料金であっても、この奥まったところで安定した営業が可能なのだろうし、もう他人の評価は関係ないのだろう。
日本の高級レストランや料亭は価格の異常な高さから、どうしても法人需要(つまり会社の接待需要)に頼らざるを得ないので、法人需要が多い大都市に立地せざるを得ないし、接待の格を上げるためにはミシュランの星も小道具の一つなのかも知れない。
最近倒産したミシュランの星つきレストランのディナーは最低で300ユーロというから、不況で法人需要がなくなればひとたまりもなかったのだろう。
今日の食文化が洋の東西を問わず、金に糸目をつけない王侯貴族の下で発展したのは事実だが、今はもう、そのような時代ではなくなっている。
ここに一般市民に市場を持つスペインの(ヨーロッパの)レストラン文化と、法人需要に頼らざるを得ない日本のレストラン文化の根本的な違いがあるようだ。
《当日のメニューの紹介》
レストランに行ってメニューを見ると、あれも食べたい、これも食べたい、しかし一皿のボリュームが大きいのでそうも行かないので迷ってしまうことが多い。
そういう人のためにスペインの著名なレストランでは、懐石料理風に自慢料理を少しずつ多品目味わってもらうための《お味見メニュー(menù degustaciòn)》というサービスがある。これはサービスの都合からテーブルに着いた全員が同じものを頼むという暗黙のルールがあるのだが。
ではメニューがどのような料理で構成されているのかを紹介しようと思う。
当日のメニューは11品目だった:
《1.フォアグラ》 《2.ポテトの鱈クリーム和え》
《3.ニンニククリーム柴エビ添え》 《4.ドライフルーツのヨーグルト》
《5.帆立貝のキノコソース》 《6.燻製ご飯、焼きトマト添え》
《7.マグロのタタキ》 《8.ヒメジのロースト》
《9.雄鶏のロースト》 《10.羊の凝乳とコーヒーシロップ》
《11.イチジクのケーキ、メレンゲ添え》
多彩な料理を味覚と視覚で楽しみながら少しずつ食べるのは、僕のような日本人には馴染みやすいし満足感も大きい。