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人間と建築物と

 

僕は建築物を見るのが好きだったが、スペインの歴史の知識が増えると一層建築物への興味が増してきたようだ。

その中でもオビエド市の郊外にあるサンタ・マリア教会は可憐で素朴で僕の大好きな建築物の一つだ。



サンタ・マリア・デル・ナランコ教会はロマネスク様式に至る前段の前ロマネスク様式で、オビエド市郊外のナランコ山の南側の斜面に一人ポツンと立っている。
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年の建築で、当初はアストリアス国王ラミーロ1世の離宮の一部としてたてられ、
10世紀初頭から11世紀半ばまで教会として使われたアストリアス芸術を代表するものだ。

ラミーロ1世のことは伝承でしか残っていないが、白馬に跨った幻の軍神、サンチアゴの援助を受けてイスラム教徒を駆逐して王国民を年貢から解放した英傑だったという。英傑と可愛い素朴な離宮の取り合わせ…。

僕は建築物とは人間が使うために作られるべきものと思うので---だからエジプトやマヤやインカの権力を誇示する遺跡には工学的興味以外には全く興味がないし、至福千年の後に人々が神に感謝して建てた小さくて素朴なロマネスク様式の教会には感銘を受けるのだが---、建築物を見るたびにそれを生み出した歴史、つまり人間を動かす権力構造や社会構造の変遷を調べたくなる。

それを通して人間の普遍的なもの、民族独自なものを仕分けして、自分の環境と照らし合わせるのは興味のあることだ。

ただ時に、外国で出会う建築物と、それと不可分な人間との関係の有りようが、僕を全く途方に暮れさせることもある。

あれはシシリアのパレルモに行ったときのことだった。
パレルモは多くの様式の建物のごちゃ混ぜの街、他所者に全く無関心の街、薄汚れた街、狭い歩道は車が占領していて、人間に狭い車道を歩くことを強制する不合理な奇妙な街だった。

そこで名もない一般市民の住む裏町の建物を見に行ったときのことだ。
古い石造の住宅に挟まれた、幅員が2メートル強の日の当たらない暗い路地を辿って行くと、両側の戸口の前に等間隔に屈み込んだ黒いシルエットが片側に3つずつ、合計6つが飛び飛びに並んでいる。
近づくにつれてそれは中年過ぎの女性たちであることが分かったが、石像のように微動だにしない。喜捨を受ける容器がないので物乞いではない---人の通らない路地で物乞いする人間などいないだろう。
僕はその間をソット抜けて行くが、彼女たちは僕を目で追うこともしない。その人間離れした無感動にやりきれない寂しさを覚える。
通り過ぎてから不躾ながら振り返ると、石像は石像のままだった。

何かに絶望しているのは肌で感じられる。だが僕はそれ程までに絶望した経験はないし、今まで日本でも外国でも他人のそれ程までの絶望も見たこともない。
どれほど絶望が深くなると、このようなことが人間に起こるのだろうか。

薄暗い石造の建築物のなかで生きる人間の心の葛藤はどのような過程をたどったのか。6つの絶望は単なる突発的なものではなかろう。

 

名の知られた建造物と人間の関係は色々な著述があるので、その理解の参考になるが、平凡な市井の建物については自分で調べなければならない。

ここで僕の頭は回転を止めてしまう。回転を駆動する動力である知識も経験もないから。

所詮は他の国の他人の話だから余計なことだと割り切れば簡単だが、それならばわざわざ外国に行くことはない。日本でガラパゴス化していた方が楽だから。


人は云う:《日本人が組織にも属さず単身で外国に住むのは、それ自体が心身にとってリスクだよ。君の都心の家を売って郊外のゴルフ場の傍に住んで、何時もの見慣れた顔と毎日プレーした方が楽しいのに》、と。
僕は応える:《見慣れないほうが楽しいんだよ。好きで結婚しても倦怠期がくるだろ。年寄りが何時も集まって何を話すんだ。今日は勝ったの負けたのだろ。無邪気過ぎるぜ》、と。

 

建築物を見るというのは、好奇心のリストの中で、《見たもの》にチェックを入れて備忘録として写真を撮ることではない。
建築物の裏に潜む人間の心の葛藤を丹念に探ることに意義があるのだと思うのだが、これは本当に時間がかかるし難しい。

 

 

 



Lauburu | スペインで | 11:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

自動車とスペインと

 

僕は中学生のころにヨーロッパの小型乗用車に憧れて興味を持ちはじめ、16歳になった1956年4月に念願の自動車運転免許証を取得した。

そして去年、古希になったのを契機に《年寄りに車》は《何とかに刃物》と同じくらい危険だと自覚して免許証を返納した。

 

その54年間に僕は車を大いに楽しんだが、その中でも20年前からマドリードを起点にして、スペインの道路をレンタカーのアクセルをおおいに踏み込んで、隈なく走りまくった思い出は鮮明に頭に残っている。走っていて本当に楽しかった。

訪れたところを地図に落とすと、バレアレス諸島とカナリア諸島を除いてもう残ったところは殆どないくらいだ。そして住むのならバスク地方だという結論に達したのだった。僕の車人生の中でスペインとの繋がりは広く深い。

 

最近20年間のスペインの道路網は整備され素晴らしいものになった。以前、マドリードとグラナダ、サン・セバスティアンとパンプローナ、ア・コルーニャとレオンの間の道路は片側一車線で非常に走りにくかった。しかし今は完全の高速道路に変身している。

 

スペインでのドライブに終止符を打ったのを機会に、僕と車の付き合いをまとめてみようと思う。

 

免許を取って初めて運転したのは、父が持っていたドイツ・フォードのTaunus12Mだった。鼻先の地球儀が何とも愛おしかった。



1956年といえばトヨペット・クラウンがデビューした年で、未だヨーロッパの車に比べれば完成度は低い車だった。

圧倒的な質の良さに吸い寄せられたように、父が使わないときは寸暇を惜しんで運転したものだった。

 

この時期に兄もまたFIAT 500の超ポンコツ車を持っていて、これも時折貸してもらった。



あるとき五反田の交差点で、発進する時にシフトレバーをローに入れた(入れようとした)ときに妙に右手が軽くなった。手を上げて見ると何と中指と薬指の間からシフトレバーがぶら下がっているではないか。

変速機にねじ込んだシフトレバーのネジが腐食して折れてしまったのだ。どうにもならない《嗚呼、没法子…》。

 

交通整理の警官が飛んできて事情を確認したら、呼子で遠くの警官を呼んで道路脇まで押してくれた。

当時は携帯などあるはずもなく、公衆電話も少ない時代だったので交番の警察電話で家に連絡してくれた。1時間後に兄がTaunus12Mに牽引ロープを積んで来てくれたのを見てホッとしたものだった。

 

これまでは人の褌で相撲をとっていた時代。

 

1962年に社会に出て自分で車を持とうと無駄金を使わずに貯金を始めた。高度成長の入り口の時代で、残業代が本給と同じくらいになるほど仕事をさせられた。

お陰で貯金が貯まること貯まること。


その頃、オートバイのホンダがスポーツカーHONDA S500を発表したので、一目散に販売店に行って予約したものだ。

しかし、いくら待っても発売されない。そのうちに500ccではパワー不足なので600ccに設計変更するという。

待望のHONDA S60057psが手に入ったのは1964年のことだった。

4気筒に4つの気化器を持つ4連キャブ車だった。面白いのはオートバイメーカーらしく、後ろの車軸から後輪に動力を伝えるのはアルミケースに入ったチェーンだったことだ。




軽快に走るライトウェイト・スポーツカーだった。そのデザインは今も陳腐化しない見事なものだった。

 

その少し後で、鈴鹿サーキットでポルシェを相手に善戦した生沢徹が操るPRINCE SKYLINE 2000GTが大きな話題となった。

馬力のプリンス自動車が、SKYLINE 1500セダンの鼻面を20センチ伸ばして直列6気筒2000ccのエンジンを搭載したものだった。

 

この車が一般仕様に変更されて市販されるという。

さっそく販売店に行って予約し、手に入ったのは1966年のことだった。

PRINCE SKYLINE 2000GTA(2000cc 105ps)の第一世代で、あまりに気に入ったので30有余年乗っていた。

しかし時が経つにつれて、残念ながら部品が壊れると型を起こして作らなければならないのでCG誌を通して愛好家に譲ってしまった。




最後の車はROVER RV8だった。昔のMGBをベースにRANGE  ROVER2000cc

190ps32,4kg-mの大馬力エンジンを搭載したものだった。



見事なくらいアンバランスな車で、それが大変な魅力だった。

いまはある事情からイギリスに里帰りして、国中が公園のような国で一層の輝きを放っているのだろう。ライトウェイト・スポーツカーはイギリスの風土が生んだものだから。


イギリスの郊外をVW GOLFで走ったとき、日本でフルオープンのスポーツカーを運転するのは全く場違いなことに気が付いたのは幸いだった。

 








 

Lauburu | スペインで | 10:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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