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感じるということ:東京にてー4

 

10年くらい前、還暦に近づいたとき、僕は初めて村上春樹氏の小説を読んだ。

《風の歌を聴け》だった。

そのとき僕は何か身体が共鳴するのを感じた。

 

それより40年前の学生時代は、高度成長期の入り口で全学連が暴れていた時代だった。

時代が大激変した敗戦のときは6歳だったので何も認識できなかった。しかし、このときは大変換期の予感があった。

未知の将来を読み切れない何か表現のしようがない希望と不安が入り交じった、得体の知れないもやもやしたものが身体じゅうに充満していた。

 

本を読み、膝を痛めるまで身体を動かし、渋谷の恋文横丁のジャズ喫茶《デュエット》でマイルス・デイビスやアーマッド・ジャマールやカーティス・フラーを聴きながら、 1本330円のトリスのハイボールを飲みながら、足が地につかない人生論や文学論をしていた。

そう云えば、当時カーティス・フラーのトロンボーンを、《青空に曳かれて行く一条の飛行機雲のような音》と評した人がいた。なんという素晴らしい感性だろうか。

 

《風の歌を聴け》は、自分でも具体的に掴み切れなかったそのときのフィーリングを、文字で具体的に僕の目の前で広げて見せてくれた。

だから気持ちが震えた。懐かしいものに再会したような気分だった。

今はなくなった恋文横丁が瞼の奥にはっきりと蘇った。

 

その後、村上文学を年代記的に読み進む。

 

高度成長期に、僕は激変する時代の奔流に乗り遅れないように、自分の気持ちを総括出来ないまま、その時々の貴重なフィーリングを脱皮するがごとく捨て去って、新しい時流に飛びついた。いつもその繰り返しだった。

結果的には熟慮のない時代だった。あとに続く世代への土壌の整備を何一つ行なえなかった。

だから今、僕は、もう遅いが罪滅ぼしに、せめて生きて来た過程を整理して総括しなければならない、という気がしている。

悠々自適などとんでもない、僕にはそんな資格はない。

まして、目と鼻の先にはもう《永遠の悠々自適》が待っているではないか。

 

ロンドンの北部に300年の歴史を持つハイゲートビレッジという素晴らしい住宅地区があって、そこのハイゲート墓地にはカール・マルクスの墓がある。

石柱のうえに《おっかない顔》をした彼の頭像が乗っている。

どこかの第三インターナショナルが建てたものだろうが、お世辞にもセンスがある設計とは云い難い。

共産主義者がセンスがないのか、センスがないから共産主義者になるのか。

 

そこには昔の中国人の墓も多く、他界した年を《卒年》と刻んである。

何と素晴らしい表現なのか。

この《卒》の意味は深い。現世を《卒業》して《永遠の悠々自適》に入学した年だと一気に想像させてくれる。

せめて僕も現世を落第することなく立派に卒業したいと思う。

 

村上文学は僕に時系列的に、《あなたが次々と捨て去って忘れていたフィーリングはこんなものですよ》と、具体的なシークエンスとして僕の目の前に次々と開いて見せてくれた。

ああ、僕の人生にはこうゆう精神遍歴があったのだと、遅ればせながら、初めて具体的に気が付いた。決してノスタルジアではなく。

 

高度成長のなかで流れに任せて生きて来た自分の心の頼りなさ、とりとめのなさの起源がおぼろげながら具体的に掴めてきた。

村上文学は人の心のとりとめのなさを描いている。

だから小説自体も、自称論理的と思っている人には一見とりとめのないものに映るようだ。

これをあげつらう人は、多分、人の心は分からない人だろう。心は理屈では分からない、フィーリングでだけで共感し理解出来るものなのだ。

 

僕は村上文学の主要作品は読んだが、《最新作》はあまりに世間がホットになり過ぎたのでクールになるまで読むのを待っている。悪い癖だ。

1Q84=1984=ジョージ・オーウェル的ビッグ・ブラザーのオリガーキーの悪夢の世界がモチーフなのだろうか。

精神の不毛から破滅への道のりでも描いているのだろうか。いずれ分かることだが。

 

村上文学の主要な作品は殆どスペイン語に訳されている(イベリア航空のなかで《海辺のカフカ:Kafka en la orilla》を読んでいる人を2度見かけたことがある)。

そのなかで《Tokio Blues》なんて本はあったかしらと思い、本屋の書棚からとって最初のページを読むと《ノルウェーの森》だった。

《ねじまき鳥クロニクル》は《Crònica del pájaro que da cuerda al mundo世の中を元気づける小鳥の年代記》となっていた。今まで漠然と理解していた題名が、何となく生々しく現れたのは可笑しかった。

 

日付は覚えていないが、TVE(スペインテレビ)の朝のニュースで、《スペイン時間で今日の午後1時にノーベル文学賞受賞者が発表されます》というコメントの後で、村上氏がイスラエルで講演した画像が流された。TVEは決め込んでいたみたいだった。

 

早速午後1時にテレビを点けたが、この時間帯はつまらないワイドショーの時間で、そのなかに短時間挿入されるアナ・ブランコ女史のニュースを1時間待ってから見たら《この人はNHKが15年くらい前に世界のニュース番組の中でTVEニュースを流し始めたときのニュースキャスターだった。15年経っても殆ど変わらない魅力的な珍しい女性だ》、受賞者はペルーとスペインの国籍を持つマリオ・バルガス・リョサ氏だった。TVEも慌てただろう。

 

そして思った。世界のムラカミになった今では、受けて迷惑な物ではなかろうが、ミシュランの三つ星のようなものが必要なのだろうかと。

 

女性のニュースキャスターの話が出たついでに少し脱線しよう。

僕はTVEニュースキャスターのレティッシア・オルティス・ロカソラーノ女史のニュース番組のファンだった。

ある土曜日に、たまにはスペイン語版《ドラえもん》でも見るかと(スペインでは土日祭日にはテレビは午前中は子供向けのアニメが中心)スイッチを入れたらニュースを流している。僕はてっきり曜日を間違えたと思ってカレンダーを見ると間違いなく土曜日だ。

何事かとニュースを見ているとフェリーペ皇太子が婚約したという。同時にオルティス女史の映像も流れたので、彼女がスクープしたのだと思った。

しかし直ぐ後で皇太子妃になるのは彼女であることが分かって驚いた。

 

その数日後に街を歩いていて新聞雑誌を売るキオスクの前を通ったら、あるゴシップ雑誌の表紙に《レティッシアの前の夫(ex-marido)》という文字が目に飛び込んできた。もっと驚いた。

スペインではカトリックが主流で、原則として離婚は認めていない、そして王室はカトリック最大の後援者だ。では何故この結婚が…。

僕はビックリして色々調べているうちに、カトリックのある高位聖職者のコメントを見つけた:

『結婚にはカトリック教会で司教の下で行う《宗教的結婚》と、立会人同伴で市役所で婚姻届をだす《世俗的結婚》がある。オルティス女史の結婚は《世俗的結婚》で、カトリック教会は感知しない…』

僕は一瞬詭弁だと思った。すぐに、人が信じていることを、信じないものが批判したり茶化したりするのは、極めて失礼で教養のないことだと自らを厳しく諭した。

 

70パーセントの国民が、彼女は皇太子妃に相応しいと考えていることをアンケートが示していた。

 

フィーリングの話に戻ろう。

今から30年くらい前に、僕はニューヨークに行ったとき、時間を見つけて急いでタクシーで近代美術館を訪れた。入口をはいって正面のメザニンに展示してあるゲルニカを初めてみた。

 

個別の構成要素の意味は分からないが阿鼻叫喚の図であるのは間違いない。

じっと眺めていると、白い下地のところどころに薄黒い滲みが浮き上がっているようだった。

ピカソは激情に駆られて大きなキャンバスに黒いペンキで怒りを叩きつけた。しかし満足できない。白いペンキで上塗りしてまた黒いペンキで書きなぐる、という作業をしたのではないか、と僕は思った。

何に対してピカソは怒ったのか。

フランコに対してなのかヒトラーに対してなのか、あるいは彼に付きまとう、わずらわしい女たちに対してなのか。僕には分からない。

だが、ちらりと顔を出す薄黒い滲みから、ピカソが怒っていたのは良く分かる。

それが分かれば充分だった。

細かなディテールの解説は評論家の仕事だ。

 

そして近代美術館を後にした。《確かにピカソは怒っていたのだ》。

 

文学も絵画も音楽もフィリーリングが合うかどうかなのだ。

合うかどうかは時期も含めて運命的なものかもしれない。

合わなければ唯の文字であり、図柄であり、音であるに過ぎない。

 

僕はスペイン、とりわけイルンとはフィーリングが一致する。理屈などは何もない。

 

あるときフランス文化にかぶれたスノッブ男に(この男はスペインを西欧とは認めていないようだった)云われたことがある:

『何でスペインなんて国や、ましてイルンなんて田舎町が好きなのかがさっぱり分からん』

僕は応えた:

『僕が君に《何故あんなオカチメンコと結婚したのかさっぱり分からない》と云ったら、君は僕を殴るだろう。今の僕の気持はそういうものだ』。…その後に云いたかった《バカが!》はかろうじて飲み込んだが。

 

理屈なんかない。フィーリングなのだ。

 

チャンドラーの《長いお別れ》風に云えば、《フィーリングの萎えた奴とゴキブリにサヨナラを云う方法は未だ見つかっていない》。

Lauburu | 東京で | 12:49 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

遠くから見たスペイン:東京にてー3

 

人種的にも思考的にも均質な日本に帰って、僕は遠くからスペインを眺めてみた。

 

スペインに住んで10年近くなり、かなりの歴史書や政治・社会評論や小説を読んだ今では、少しはスペインについての感想を述べることが出来るようになったと思っている。

 

多様性:よく云われるスペインの多様性とアメリカの多様性は全く意味するところが違うようだ。


アメリカ:それぞれの出自によって異なる色を背負った人たちの点々が、場所により密度の濃淡があるにせよ入り混じって、まるでスーラの絵のように国を構成するアメリカ。

スペイン:自治州の数17枚の色違いの布が縫い合わされて、パッチワークのように国を構成するスペイン。

 

アメリカ:仕事の都合で、30年前に北はミネアポリスから南はタンパまで訪れたとき、アメリカの食べ物と住居の画一性には何か違和感を覚えた。

なぜこの画一性が人種の多様性と両立するのか。

この画一性とは、マヨネーズのように多様な人種が混り合った乳濁液を水と油に分離させない仕掛けではないのか、多様性を束ねる最大公約数として。

その筆頭の星条旗に続いて、経済効率はあるにしても、画一性を食べ物と住居に求めたのではないか。

血の流れのなかにある自分の出自の意識を越えて、自分がアメリカ人とだと自己同定する(アイデンティファイする)ための所産なのではないのか。

僕はこの画一性はアメリカの多様性とは裏腹の関係があるのではないかと思ったのだった。

 

スペイン: F−1のフェルナンド・アロンソの応援団は、スペイン国旗ではなくコバルトブルーに細い金色の十字が入った彼の出身地アストゥリアス州の旗を振る。

またバスクやカタルニアの祭日には自治州の旗で埋め尽くされてもスペインの国旗は見当たらない。どこに行ったのだろう。

 

日本では坂道を登れば、次は必然的に下ることになる。

しかしスペインでは、海辺の街のサン・セバスティアンから長い坂道を車で登ってパンプローナにつき、次にログローニョ、ソーリア、シグエンサを通ってマドリードまで行くのに下ることはない。そこで初めてスペインは台地の上に乗った国なのだと実感する。その台地の上にはさらに峻嶮な山脈が縦横に走って地域を分断している。これが伝統的な地域分立主義(regionalismo)を育むことになった。


バスク州、カタルニア州、ガリシア州は標準語のカスティージャ語の他に独自の言語を持ち、国家は同一言語の下で成り立つという前提をおけば、バスク州は北フランスのアキテーヌ地方の一部と一体であり、カタルニア州は南フランスのルシヨン地方の一部と一体であり、ガリシア州はポルトガルと一体になるという、スペインの枠を跳びこしたヤヤコシイことになる。頭が痛くなるような難しい問題がある。

 

一昨年だったかスペイン国歌には歌詞がないので一般公募したが、これは旧弊な王政の臭いがするとか、あれは独裁政権時の臭いがするとか議論百出、結局は該当するものなしとなってしまった。

スペインのように地域分立主義が強い国で、まして近代民主国家体制が出来上がったいま、後付けで国を最大公約数的に表現する国歌の歌詞を制定するのは100パーセント不可能だろうと思う。

例えば、日本国歌に歌詞がなかったとしよう。そして今現在《君が代》を歌詞として制定しようとしたら、国民の何パーセントが同意するだろうか。そういうことだと思う。

 

家屋も南と北では全く様相がちがうし、食べ物も地域独自の物を持っている。

スペインでは(フランスもイタリアもそうだが)パンは前菜からデザートが始まるまで食事の軸になるもので(日本では頼まないとパンを出さないので彼らは不思議がるのだが)、まさに食文化の基本をなしている。

そのパンもケルト文化を継ぐガリシアでは柔らかくて、バスクのパンは何かフランスのバゲットにも似ている。
極め付きはコテコテのスペイン、カスティージャ地方のパンで、これで頭を叩かれるとコブがで
きそうなくらい硬い。ハムを挟んだボカディージョ(スペイン風サンドイッチ)を食べると、食半ばにしてアゴの蝶番:コメカミがじんじんと熱くなってくるくらい硬い。

しかしそれぞれの地方の人々は《おらがパンが一番だと》胸を張る。

 

僕は子供のころから食べ慣れている《食パン》をスーパーで買ってトーストするが、この食パンはビンボー(BIMBO)という大メーカが全国的に一手販売しているものだ。

これをバスクの人が知れば《君はそんなビンボーなものを食べているのか》と笑うだろう。
無個性で画一化されたものは嫌いなのだ。

そうは云われても所詮は日本人の僕は、最高級の生ハムをボカディージョで食べるよりも、トーストにたっぷりと挟んで食べるのが好きだ。プロシュートを挟んだパニーニは《ケッ》てなものだ。

 

州旗にしても国歌にしても住居にしても食べ物にしても、スペインには国をくくる最大公約数が見当たらない。まさに地域分立主義が大手を振って歩く難しい国だ。

ピカソのような天才を生むエネルギー源になる多くの軋轢があり、また一方では《天才は作るものではない、出てくるまで待つほかはないさ》という悠長さを併せ持つ興味のある国でもある。

 

約80年前にオルテガ・イ・ガセーが著書《無脊柱のスペイン:España invertebrada》のなかで個人主義、地域分立主義、深慮のない直接行動を統制する中央政体の不在を論じているが、この国ではパワーバランスをとるべき中央政体の役割は極めて大きい(オルテガが今の日本を見たら《無脊柱の日本:Japòn invertebrado》を書くのではないかと苦笑するのだが)。

 

国民が言葉も考えることも行動することも同じで、羊のように大人しい日本国でさえ収めきれなくて職務を投げだした歴代の首相。彼らがスペインの首相になったらどんな行動をしたのだろうと想像して自虐的に楽しんでいる。

 

 

Lauburu | 東京で | 12:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

カンディンスキー絵画展:東京にてー2

 

丸の内でワシリー・カンディンスキーの絵画展が開催されているというので早速訪ねてみた。丸の内に来たのは10年振りくらいだろうか。ずいぶん変わったものだ。

 

絵画に造詣が深いわけではないが、学生時代からカンディンスキーの作品には感じるところがあった。とくに彼の小さな作品には音とリズムが圧縮されて詰まっているように感じたからだ。
絵画というよりもパターンとして認識していたようだ。

彼の作品を見ていると、何時も頭の中にはオーネット・コールマンの音が聞こえていた。
50年前にアバンギャルドの旗手としジャズシーンに登場したオーネット・コールマン。

彼のアルトサックスの音は奇矯だった。食べ物がろくになかった僕が子供のころ、特別な日には家の鶏を絞めたものだったが、そのときの鶏の悲鳴のような音だった。
絞り出すようなかすれた音。

僕にとってカンディンスキーにはオーネット・コールマンが良く似合う。

50年後の今でも、彼の作品を見ていると、やっぱりコールマンのロンリーウーマンの音と旋律が頭の中で流れる。
取り残された孤独な人間のザラザラした想い。



またカンディンスキーの作品で好きなのは、彼にしては珍しく具象に近い作品《ロマンチックな風景》だ。



20世紀初頭に新しい概念を引っ提げて画壇の旧体制に挑んだカンディンスキー。

3頭の馬に乗ってシーンを駆け抜けるのは彼とフランツ・マルクと、その後ろは彼の同志で愛人のガブリエレ・ミュンターなのだろうか。

何か信念に満ちた素晴らしい躍動感がある。

そう云えば写楽はもっと猛スピードで江戸のシーンを駆け抜けて行ったのだろう。

こんな感じで、個性のある作品を残して。

 

いま日本に帰ってこの作品を見ると、どうしても作品が暗転してしまう。



薄暗い不明瞭なシーンを、針路を示す太陽も光彩を失って、人々は気もつかずに坂を下り続ける。

その先に何があるのかは分からないが、希望の星がまたたく世界ではないだろう。

Lauburu | 東京で | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

自転車、そしてカラスへの八つ当たり:東京にてー1

 

久しぶりに恵比寿に帰って自転車を再開した。

 

夜明けと共に天現寺橋から麻布笄町(南麻布)を通って霞町(西麻布)交差点へ…何で東京都はこのような由緒ある町名を捨てたのだろう。箪笥町も伊達町も豊沢町も消えてしまった。海の向こうにはサラ・ベルナール通りとかテッド・ウィリアムス通りがあるのに。情緒のないことだ…、青山葬儀場を抜けて明治記念館に出て左折して、明治神宮絵画館の周回道路を1周してから絵画館前広場でストレッチングをする。
そして外苑のイチョウ並木と青山墓地の桜並木の中を走って帰路につく。

 

私設のゴミ収集車がブンブン走るなかを恐る恐る自転車に乗るのは、カンタブリア海に沿って自転車道が整備されているスぺインとは大違いだが、自転車文化が違うのだから仕方がない。

 

コンクリートの上を這いまわったカタツムリの軌跡のように無計画な街路と、両脇に立ち並ぶ高さも形も色彩もバラバラな建物は東京の特徴で、ある面ではこの混沌には興味がわくが、何としても我慢がならないのはゴミ収集システムの不備だ。

早朝からカラスが喚きながら仲間を呼んで残飯あさりして、道路中に生ごみをまき散らすのは朝の爽快な気分を吹き飛ばしてくれる。これは本当にみにくい。

 

ことゴミ収集システムに関しては、僕の住む行政区とスペインとは雲泥の差がある。

スペインでは道路の至る所にゴミ集め用の大きなコンテナーが置いてあって、ガラス瓶用、紙類用、可燃ごみ用、不燃ごみ用と別れていて、何時でもこれに投げ入れることができる。勿論カラスや他の動物が残飯あさりする余地はない。また粗大ゴミもコンテナーの脇に置いておけば持って行ってくれる。

ゴミの収集は休日を除いて毎日、交通量の少ない午前3時から4時のあいだにレッカー車が来てコンテナーを空にして行く。ウーッ、ガラガラドッシャーン、ウーッという音が朝型人間の僕の目ざましになる。

 

キッチンでお湯を沸かして玄米茶を淹れ、頭がはっきりすると読書にとりかかる。夜明けが東京より2時間遅いので、夜明けまでの4時間が充実した読書の時間になる。

 

恵比寿の早暁は、カラスの不吉な気持ちの悪い喚きが台無しにしてしまう。これはゴミ収集システムが不備だからだろう。

待てよ、そう云えば高杉晋作が詠んだ都々逸に《三千世界のカラスを殺し、主と朝寝がしてみたい…》と云うのがあったっけ。あの時代からカラスは邪魔者だったのだ。まさかトタン屋根の上をガサゴソと歩き廻ることはなかったろうが。

 

しかし東京のカラスの異常繁殖は、矢張り残飯あさりが容易に出来るからだろうと思う。そんな人間のだらしなさを棚に上げて、生き延びよう子孫を残そうとするカラスだけを悪者にするのは八つ当たりというものかも知れない。

 

スペインの街でもイギリスの街でも、東京で見られる肉食系の《ハシブトガラス》は見たことがない。

 

しかしゴッホが描いた絵画に、渦巻く濃紺の不穏な空の下で金色に輝く麦畑が広がり、その上をカラスの群れが飛んでいるものがある。都会には生息しなくても田園地帯には果樹園を荒らす嫌われものの草食系の《ハシボソガラス》がいる。

そしてそのカラスの胸肉はジビエ料理のレパートリにも名を連ねている。クジラと同じくミオグロビン色素が豊富で肉質は赤みがかっていて、歯ごたえがあって美味しいという。

 

しかし東京の残飯あさりする肉食系の《ハシブトガラス》を見ている僕は、カラスの胸肉のローストを食べている自分を想像することは出来ないのだが。

 

カラスはゴミ収集システムの不備を利用しているだけなのに、僕はどうしてもカラスに八つ当たりしてしまう。

人間も顔負けの利口者のカラスだが、創造主が色を塗り間違えたような醜さがゆえに嫌われものになってしまったようだ。

 

テレビの国会中継で、目も耳も塞ぎたくなるような品がないメスカラスが喚いていた。

多少見かけが良ければハシブトカラスに劣る知性でもこんなことが許されるなら、あまりにもハシブトカラスが哀れだ。彼らが残飯あさりしないように餌付けでもしようか。

 

Lauburu | 東京で | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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