2017.04.17 Monday
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闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2011.03.31 Thursday
この緊急事態に東電の社長が入院したという。一番陣頭指揮を行う重要なときに。
僕はこれだけでも社長失格だと思っている。それほど社長の職責は重要で厳しいものだと思っている。何人の人がそれをきちんと認識して社長職を引き受けたのだろうか。
概して、大企業の社長は前社長が地位を禅譲するときに、将来に亘って自分を物心両方から面倒を見てくれる人物を選ぶのが一般的だから、この程度の人物が社長になっても不思議ではない。
もっと不思議なのは退院したらまた元の組織に戻すという。全社一丸となって臨戦態勢を敷かなければならないときに、社内の平穏しか考えないのは如何にも旧弊な大企業らしい。この体質は未来永劫治らないと思うし、これを前提に我々はものを考えてゆかなければならない。
JALは経営の無能さと政治家の介入で破綻したが、これに代わる代替手段はあった。とくに国際線はJALが無くても不便はしない。
ところが電力はそうは行かない、代替エネルギーがないからだ。ここに東電の傲慢さと当事者意識の欠如が生まれるのだろう。頭などはいくら下げても減るものではないから平然と下げるだろうが。
財界には巨人軍を応援する燦燦会なるものがあって活発に活動しているらしいが、今回の大災害では動きが感じられない。偉そうなことを云っても、自分の腕一つで事業を立ち上げたユニクロの社長とは社会的な責任の捉え方が違うようだ。所詮は雇われマダムのサラリーマン社長に過ぎない。
古希を過ぎた人間でも将来への無力感を感じるのだから、若い人たちの心情は察してあまりある。
日本はサクラの季節だ。サクラの木の下で呑んだくれるのは芳しくないが、皆が一斉に落ち込んでしまえば日本は破綻するだろう。せめてお弁当と缶ビールでも持って素晴らしい花見をしてください。
災害は起こってしまえば復旧する他はない。若い人たちは居酒屋にでも集まって将来の天下国家を論じて欲しい。萎縮からは何も生まれないから。
高杉晋作は棹が12に分解できる三味線を持ち歩いていたそうだ。動乱のときにこそ、このくらいの洒落っ気がないと良い発想は出て来ないのではないだろうか。
2011.03.25 Friday
もう一部の人の決死の作業に頼るべきではないだろう。もう安全に作業できる範囲内で最善を尽くして天命を待つ他は無いと思った。
あるいは東日本はおろか日本中が放射能物質に汚染されるかも知れないが、それは全国民で背負うべき問題だと思う。
僕も5月初旬に東京に帰る航空券を持っているので、航空会社が運行を停止しない限り帰る積りだ。
日本の社会構造は大企業のホワイトカラーは何も危険を冒さず、現場作業員や下請けや子会社の社員に危険な仕事や嫌な仕事は丸投げする構造になっている。
そのうえに、大企業のホワイトカラーは危険な仕事をする人間に感謝するどころか、常に格下の人間と見下している。
危険を冒す人間も本当はそのようなことは嫌に決まっている。しかし断ればその後の仕事がなくなって家族を食わすことが出来なくなる。選択の余地はないのだ。
僕は会社人生の大半を差別される側に居たので、痛いほどそれが良く分かる。
エリートとは緊急事態となれば、真っ先に危険を顧みずに行動する人間であるがゆえに尊敬され厚遇される。
日本の自称エリートは、緊急事態になれば下に責任を押し付けて逃げる達人ぞろいなので救いがない。
もう情けなくて言葉もない。
このような人間性を失った人たちに、代替の利かない電気エネルギーの供給を委ねなければならない大半の真面目な日本人は哀れすぎる。
何を云っても蛙の顔に小便だろうが。
2011.03.24 Thursday
家に閉じこもってインターネットの災害情報を見ても何が出来るわけでもない。
僕の好きなサン・セバスティアンと美しいコンチャ湾に行ってみよう。近郊列車で僅か22分だ。
まだ3月で気温も15度を下回るというのに海に入っている人がいる。何かの健康法なのだろうか。
僕はサン・セバスティアンが抱き抱える美しいコンチャ湾を見ながら考えていた:
今回の大災害に対して中国、韓国、アメリカ、ロシア、ベトナム、タイ、インドなどの日本国民の勇気への称賛は嬉しかった。近隣諸国と付き合いが如何に大切なことかと感じた。
だが西ヨーロッパの日本国民への称賛も関心も少なかったようだ。
彼らは心では日本国民の行動を称賛していても、世界を精神的にリードしているのは自分たちだと云いたいのだろう。
近隣諸国同士の連帯の必要性を痛感する。
欧米は、特にフランスは中国を金儲けの大市場として利用しているが、利用し終われば黄禍論を振り回すのは必定だから、尖閣諸島や竹島問題や北方四島などの難しい問題はあるが、たとえ百年かけても日中韓の団結を前提に話し合う必要があると思う。
東アジアで日中韓がスクラムを組めばヨーロッパ共同体などは霞んでしまうだろう。
これはヨーロッパにとっては脅威だろうから離反工作をするだろうが。
日本では野球のセントラルリーグが強行開催しようとしているらしい。
その根拠は《敗戦後の日本人に勇気を与えたのは野球だった》ということらしい。
だが、これは全く違う。
1945年の晩秋に神宮球場でプロ野球の東西対抗戦が復活したが、これは国民の総意だった。開催後に幼い僕でも父が感激の涙を流していたのを覚えている。
敗戦で打ちひしがれた何の娯楽もない日本で、野球人も国民もプロ野球の復活を願っていた。そして日本を統治していたGHQも実力者のマーカット少将を中心に日本の国民感情の安定と日米の親善に野球を利用しようと考えていた。
まさに日米の国民的総意だったのだ。
いまの日本の状況を見ていると、読売新聞と巨人軍と東京ドームの金儲けの心情しか見えてこない。浅ましいことだ。
もし東京ドームに5万人の観衆が集まるなら、もう日本を心配することは止めようと思っている。
せめて福島原発が完全なコントロール下に入って、日本国民の努力が実った、喜ぼうよ、という時期まで何故待てないのだろうか。
こんな静かな海が牙をむき出すときの恐ろしさを感じながら考えていた。
僕は和食にはそう拘らないほうだが急に和食が食べたくなった。
そうだスペイン風和食屋のチュビージョ(Txubillo)に行こう。サン・セバスティアンの西の外れで歩いて行くのは大変だが。
どういうわけか、僕は日本酒を美味しいと思うのだが体質的に合わないので、スペイン風の和食店で葡萄酒を飲むのが好みに合う。要するに洋食が好きなのだろう。
精進揚げ:こちらでは衣に味をつけているのでツユは出ない。
鰻の蒲焼:これは赤葡萄酒のつまみに絶品だった
ほうぼうの焼き物
健康食の日本料理店は昼食を摂るバスク人で一杯だった。
良い気分になった、さあ駅まで30分歩こう。満潮になった浜辺を見ながら。
サン・セバスティアンは洗練された美しい街だ。
2011.03.21 Monday
日本で大災害が起きて以来僕もイルンでしょげ込んでいたが、一時的には仕方がないが、それが正しい態度なのかと自問してみた。
そして無傷の外国にいる人間こそ元気を出さなければと思って、ピンチョス王国のサン・セバスティアンの旧市街に出かけた。ピンチョスのハシゴをしに。
【バル・ゴイサルギ】
《ピンチョス》
エビのビナグレットかけ
チャングーロ
ポルチーニ
【バル・チェペーチャ】
ここの名物のアンチョビー、焼きウニのせ
【バル・マルチネス】
《ピンチョス》
スペインでは珍しい魚卵
ズッキーニとマリスコスクリーム
鱈の胸肉
とりあえず今日は3軒でお終しまい。食の街サン・セバスティアンを探訪するのにはどの位の日数が掛かることか。
日本人のとってスペイン居酒屋のバルの存在は本当に心強い。
2011.03.20 Sunday
あまりにも重大な原発事故に対して電力会社、自衛隊、消防、警察の現場赴任者たちの命がけの行為には驚くばかりだ。
このような心性は他国人には絶対に理解不能だろうと思う。
日本の敗戦後の連合軍の総括では
『日本の兵士は世界最高、将官は世界最低』というものだった。
この危機的状況を見ていると、まさにそれを実感する。
現場で命を懸けている人たちを、天よ助け給え。
それにしてもマスコミの質問の馬鹿さかげんには開いた口が塞がらない。
僕は石原都知事は好きではないが、東京に戻ったときにMXテレビで彼のマスコミへのインタビューを見ると、下らない質問には『馬鹿なことを訊くな』と一喝するのには同感する。
マスメディアは傲慢な頭の悪い人間の集団らしい。
僕は都市開発の仕事をした端くれとして知っているのだが、河や海に近い多摩川や幕張のビジネスセンターでは、高層ビルの頭脳のコンピュターは、万が一に備えて2階より上に置くのが常識になっている。
何が来ても絶対に大丈夫と地元に云っていた原発が、地震とツナミで機能不全となるのはあまりにもお粗末だと思う。
絶対大丈夫と云った以上、想定外という言い訳は存在しない。
日本はおろか世界のエネルギー政策にまで揺さぶりをかけてしまった。
国の所轄官庁と上手く付き合えば良いだけの電力会社の、自分たち内部の論理だけを優先する地域独占の思い上がりが日本と世界を揺さぶっている。
2011.03.16 Wednesday
世界に誇りうる美点を沢山持ちながら、力を集中出来なかった日本人はこの災難で団結した。そして世界に国民の力を見せつけた。
1960年代に豊かな国になろうと国民が一致団結して目的を達し、《ジャパン・アズ・ナンバーワン》、《もうアメリカに学ぶものはない》と思いあがっているうちにバブルが崩壊して、我々は求心力が無いまま約20年を無為に過ごしてしまった。
今度の災害の代償はあまりにも大きい。しかし国民は団結した。
世界に本当の国力を見せつけた。
日本人の謙譲さや時間の正確さなどが人生の美徳のうちに入らない国が多い中で、それが緊急事態では如何に重要かを見せつけた。そして僕も自信を持った。
世界の先進国のなかでも先頭を走っていることを見せつけた。
大災害の克服という目標ができた日本は生まれ変わるだろう。
それが亡くなった人たちへの最大の哀悼だろうと思う。
2011.03.15 Tuesday
僕の筆力ではどんな哀悼の言葉も意味をなしません。
古希を超えた人間が東京に帰っても、無駄に電気やガスや水道を浪費するだけですし、電車に乗れば働き盛りの人たちの邪魔をするだけなので、心配であってもイルンに留まって居るのが最善だと思っています。
石原都知事の天罰発言は穏当を欠くと思いますが、裕福になって傲慢になり他人を省みなくなった我々に、天が反省の材料を与えたのではないのかと思う点では都知事と同じかも知れません。
広島の碑文に《二度と過ちは繰り返しません》とありますが、これを云うべきなのはアメリカであって我々ではないと思っています。
しかし、今回の大災害で亡くなられた方たちへの最大の哀悼は、今までの傲慢さの《過ちは二度と繰り返しません》と誓って、もう一度虚心坦懐に原点に帰ることだと思っています。
亡くなられた方たちに心からの哀悼を捧げます。