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場違いのホットドッグ

 

僕の東京の家の近くには、M屋、M越、Mエツなどのスーパーが歩いて10分のところにあって便利なところだが、イルンもまたスーパーと市場が充実していて素晴らしい。

僕はイルンに戻るとき、もし食べたくなったらとインスタントラーメンや蕎麦やうどんを持ってくるのだが、性懲りもなく何時も使い残してしまう。


それは、イルンの市場に行くと、あの食材にも興味がある、この食材にも興味があると追いまくられるからだ。

スペインの市場巡りは本当に面白い。

壇一雄氏のポルトガル時代の話が実感として分かってきた。

氏も目を見開いて市場を徘徊したのだろうとかなどと思って。

 

ところで最近、家の近所に新しいスーパーマーケットが開店した。このような業種は先発の売れ筋を見て商品構成を考えられるので、後発の品揃えが新鮮なのは不思議ではない。

品揃えは高級路線のようだ。

 

今日は店を見にきただけで特別買うべきものもないので、チョリソでも買おうかとソーセージ売り場に行ってみた。

ソーセージに関しては、スペインには独自で自慢のチョリソ、サルチチョン、チストーラ、モルシーヤなどがあるのとスペインの人たちは食に保守的なので、その他のソーセージは裏方扱いで、ひっそりと隅の棚にあるのは知っていたが、ここには多分子供向けだろうが、ウインナーの他にフランクフルトソーセージまで置いてあった。

 

僕がアメリカが元祖のホットドッグを初めて食べたのは、1980年にシカゴのリグレーフィールドだった。

此処を本拠にするカブズは人気チームなのだが、当時はライン・サンバーグやデニス・エッカーズリーが加入する前の低迷期だった。

 

リグレーフィールドはボストンのフェンウェイパーク(1912年開場)に次ぐ旧い野球場(1914年開場)で、赤レンガ造のフェンスにオカメ蔦が這っているのが印象的だ。

 

この球場はチューンガムのリグレーがオーナーの時代に、野球とは《お天道さま》の下でやるものだといって照明装置を設置させなかったという(実は戦争のお蔭で鉄骨が不足していたせいもあったらしいのだが)。

僕が度々足を運んだときは未だ照明装置はなくて驚いたものだった。(照明は1988年に設置された)




日本の野球場と違って貧乏臭くなく、現実と切り離された夢の世界のような気がする(どんなに日本が高度成長を達成しても、根本的にアメリカには敵わない何かがあると実感したことの一つだった)。

 

そこで食べたホットドッグの味が頭に焼き付いて、《シカゴのホットドッグ》は《目黒の秋刀魚》になってしまった。(残念ながら有名なネイザンのものは食べたことがないが)

 

新しいスーパーでフランクフルトソーセージを見たとたんに、懐かしい味が口の中に浮かんだ。

フランクフルトソーセージとパンとマスタードを衝動的に買ってしまった。

 

いま僕は画質の良いiPadで、リグレーフィールドでのカブズとフィリーズのゲームを見ながら(1年に100ドルの購読料をMLBに払うと、大リーグの全公式戦2430試合の実況中継が見られる)、ウィンドウズでこれを書いている。

 

時差のせいで午前3時だ(こんな早暁にスペインで大リーグ野球を見ている人間は僕だけかも知れない)。



勿論、夜食は懐かしのリグレーフィールドを見ながらのホットドッグ。

 

しかし、当たりまえだがソーセージもパンもマスタードも、シカゴのものとは味が全く違う。(味覚の刷り込みとは恐ろしいものだ)

 

だが時には、こんな場違いも生活のアクセントになる。

 

しかし、ホットドッグはさておいて、僕が勝手に信じる世界最高のハム、アンダルシア・ウエルバ県ハブーゴ村のコルク樫林のドングリで肥育した、イベリコ黒豚の腿肉の生ハムを目一杯挟んだトーストを食べるのは最高の味だと思っている。(スペインの人は決してこのような食べ方はしないが)

これはスペインにいるときの楽しみの一つでもある。

 

むかし、僕はピーター・メイルの《南仏プロバンスの12ヶ月》を読んだときに、肉屋の主人と客が肉の部位の食べ方を《アーデモナイ、コーデモナイ》と延々議論している描写が印象に残った。

そしてスペインの市場でもプロバンスと同じことが良く見受けられる。

こんなことを日本でしたら、後ろの客の大顰蹙をかうだろうが。

 

人付き合いの中で、食に関する話題が盛り上がる国とそうではない国の違いは何なのだろうか。

豊かな実りのある国と、そうではない国の違いなのだろうか。

食べるのは生きるための手段と考えるか、食は文化だと考える違いなのだろうか。

 

陽光燦々たるイベリア半島は、昔からその豊かな実りが北の国からの旅行者たちの羨望の的だったと、旅人たちの旅行記に記されている。

食文化がスペインの支柱の1つになったことは不思議ではない。

 

日本人は北大路魯山人的な要素と二宮尊徳的な要素が同居していて、興味はあるのだが食を話題にするのは軟弱な気がするのか(とくに男がそうだが)、斜に構えて退いてしまう人が多いようだ。

 

今まで世界で一番予約し難いと云われた、スペインのジローナ市近郊のレストラン《エル・ブジ:El Bulli》のオーナーシェフが、充電するために休業宣言をしたのを聞いたとき、僕は料理とは、うたかたのうちに消えて行く芸術品だと思っているので、創作活動には大変なエネルギーを必要とするのだろうと納得した。

 

 

Lauburu | スペインで | 02:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

子供と言語

 

このところ晴天が続いて気温も上がって来たが、自転車に乗っても汗をかくほどではない。

いまヨーロッパの子供たちは何処でも夏休みを楽しんでいる。

 

夏休みでロンドンから末娘一家がイルンに遊びに来た。イルンの長女の8歳と6歳の男の子と、末娘の3歳の男の子が日本語を使って遊んでいる。

 

3歳の方はロンドンの日本人幼稚園に通っているので、日本語が出来るのは不思議ではないが、8歳と6歳の方はイルンに住んでいるので、日本語を話すのは母親だけなのに良く此処まで日本語が分かるようになったものだと思う。

 

先日僕の知り合いが送ってくれた最高級の海苔があるので、長女と魚屋に行ってカツオ、ヤナギガレイ、アジなどを買ってきて、長女の家で手巻き寿司パーティーをしたが、外国育ちの人間があまり好まない《カーボン紙のような海苔》がどんどん消えて行くのにビックリした。


日本酒がないところで、生魚には白葡萄酒、リアス・バイーシャスのアルバリーニョが一番だ。

 

今回は湖水地方を旅行する次女一家は来なかったが、彼女の12歳の男の子と

11歳と8歳の女の子は日本の子供と同じ言語能力がある。

それは尤もで、彼らはロンドンの日本人幼稚園と小学校に通っているからで、両親の仕事で日本に長期滞在したときは、僕の家から渋谷区立の小学校にも通っていた。

 

外国人と結婚して連れ合いの祖国で子供を持った場合に、子供がコンニチハ、オハヨウ、サヨナラくらいの日本語しか知らないケースが多い。

連れ合いの方が、自分の家庭内で自分が分からない言語で会話が行われるのを嫌うからだろう。

 

この点で僕の3人の婿さんたちは根本的に違っている。自分の費用で先生を探してまで日本語を学んでいる。知的キャパシティーが大きいのだと思う。

 

次女の12歳の長男は、今は全寮生制のパブリックスクールに所属していて、むしろ英語を勉強していると云えるのかも知れない。

 

英語に浮かされたような今の日本で、子供と言語の関係をどのように考えるべきなのだろうか。重要なことだと思う。

 

Lauburu | スペインで | 04:45 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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