2017.04.17 Monday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2011.09.23 Friday
むかしのメモ帳を整理していたら走り書きしたスケッチが出て来た。
サンタンデルからビルバオに向かう一般道を車で走っていたときに、喉が渇いたので名も知れない村のバルにコーヒーを飲みに入ったときのことだった。
さして広くもない道路の両側に、忘れられたような埃を被った家並みが一列に並んでいるだけの小さな村で、その中の一軒の家の妻側の壁に《BAR》とペンキで書いてあった。
30世帯くらいの村だがバルだけはある。バルは地域の市民センターの役割をしているのが良く分かる。
入り口の蠅除けの縄のれんを掻きわけて薄暗いバルの中に入ると、隅のテーブルに4人の暇を持て余したようなオッサンが坐っていた。
何をしているのか見ていたら、テーブルの下から各人が一つずつ饅頭のような、あるいは大福のような菓子をセッセッセッと一斉にテーブルの上に置くではないか。
そして皆が天井の方に目を向けて何かを待っている様子。
しばらくすると天井近くを飛んでいた1匹の蠅が菓子に向かって降下し始めて菓子の1つに着陸した。
その菓子を置いたオッサンは歓声を上げて大喜び。つまり賭けに勝ったのだった。
賭けごとは色々とあるが、このような珍妙で愉快な賭けを見たのは初めてだったので僕も一緒に大喜びした。
そのオッサンたちの真剣な眼差しの動きが網膜に焼き付いていたので、ホテルで早速メモ帳にスケッチしたのだった。
2011.09.15 Thursday
マドリードの中心のプエルタ・デル・ソルに近い観光名所である矩形で大きなマヨール広場は、周囲を4層の建物に囲まれていて外部から広場にアクセスするには9つの門がある。
その中でも最も有名なのは外部の《刃物屋通り:Calle de Cuchilleros》に通じる《刃物屋アーチ:El Arco de Cuchilleros》と呼ばれるものである。
《刃物屋アーチ》
この刃物屋アーチの階段を下りて刃物屋通りを50メートルほど行くと左手に、18世紀初頭に開店した世界でも最古のレストランとギネスに認定されているボティン(Sobrino de Botín)がある。
ここは作家ではドス・パソス、スコット・フィッツジェラルド、ヘミングウェイなどが訪れた有名なレストランだが、とりわけ世界的に有名にしたのはヘミングウェイが《日はまた昇る》で次のような文章を書いたからであった。
…ぼくらはボティンの階上でランチを食った。ここは世界で一番いいレストランの
ひとつだ。子豚の焼肉をたべ、リオハ・アルタを飲む。ブレットはあんまりたべない。
いつでもたくさんはたべないのである。ぼくはうんとこさ食ってリオハ・アルタを三本
あけた…(岩波文庫)
その後は《乳飲み豚の丸焼き:cochinillo asado》を目当てに国の内外から観光客が訪れて、夜は予約なしでは入れないほど盛況ぶりだ。
《ボティンのファサード》
《ファサードの右端のショーウィンドウにはヘミングウェイ御用達のサインがある》
昔、この店の一軒おいた左隣にもう一軒のレストランがあって、そこのキャノピーには何と
《ヘミングウェイは此処では食わなかった:Hemingway never ate here》 と書かれていて、客足の少ない店の前ではウェイター(camarero)が憮然として腕を組んで立っていたものだった。
僕はそれを《やけくそ》と見るのか、《その意気や壮》と見るのか迷いながら笑いを噛み殺すのに苦労したのだった。
マドリードの中心で《Hemingway nunca comió aquí》とスペイン語で書かずに英語で書いたのは、言外に《目覚めよ!アメリカ人よ!観光客よ!》と云いたかったのかも知れない。
しかし、この店も時流には勝てずに約15年前に姿を消してしまった。
ところが数年前にてマヨール広場から階段を下りて《刃物屋通り》に出た直ぐ左に再び《Hemingway never ate here》のキャノピーが出現した。
以前ボティンと並んで居たときには、そのブラックユーモアはインパクトがあったが、十軒近くも離れてボティンと一緒に視野に入らなくては迫力が乏しく面白さがなくなってしまった。
しかし何となく昔を思い出して笑いがこみ上げて来た。
今年になって訪れてみるとそのレストランは再び姿を消していた。
心意気だけでは商売が成り立たなかったのだろう。
ところで《乳飲み豚の丸焼き》はどんなものなのか。
その肉質の柔らかさを強調するために、客の前でカマレロがナイフではなく皿の縁で6〜8人前に切り分けてテーブルに配るのが常だった。そして僕はこの儀式にはどうしても馴染めなかった。
生暖かい刺身を、未だ動いている尾頭と一緒に出す魚の生き造りほど悪趣味ではないにしてもだ。
僕は知人が日本から訪ねて来るたびにボティンに案内したが、最初は物珍しさから興味があったものの、回を重ねる毎にその肉の乳臭さが鼻に付いてきた。
パリパリした皮は確かに美味しいのだが、北京ダックではあるまいし肉は食べないというわけにはいかないので、僕だけは他のもの、例えばイカの墨煮などを食べていたこともあった。
しかし多くの人たちの圧倒的な支持があるのを考えれば、僕の個人的な味覚などは問題外なのかもしれないし、本場のセゴビアの乳飲み豚の丸焼きを食してから、この料理の評論をすべきだと云う人がいるのも事実だ。