2017.04.17 Monday
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闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2011.11.14 Monday
午後の陽光が衰え始める時間で、子供のころ盛夏なのに、つくつく法師が鳴き始めて秋の接近を知らせると、夏休みも終わりに近づいてきたと感じて裏寂しくなったことを思い出させる時間。
古来人間は、太陽が顔を見せると起きて働きはじめ、日が沈むと働くのを止めて休み、自然に寄り添って生きて来た。
スペインの日の出と日の入りは、日本と比べて2時間後ろにずれている。だからスペインでは人々が昼食は午後二時に、夕食を午後九時に始めるのは自然なことと思えたし、日差しの角度から日本の午後三時への思いはスペインでは午後五時にずれ込んで行ったのだった。
そのような思いを抱いてスペインで生活している時に、僕は偶然ガルシア・ロルカの詩:『午後の五時(A las cinco de la tarde)』に出会った。
『午後の五時』はロルカの友人で芸術を好む闘牛士のイグナシオ・サンチェス・メヒアスの死への挽歌だった。サンチェスは雄牛の角突きで鼠頚部に深手を負い、壊疽を併発して苦しみのなかで命を落とした。
長い詩の中で、『午後の五時』というフレーズが24回も繰り返される変わった構成であるが、その最終行の『昼の陽光の翳りの中の午後の五時』というフレーズが奇妙に僕の頭に滲み付いたのだった。
午後の五時
それはまさしく午後の五時だった
少年が純白のシーツを持ってくる
ただあるのは死だけ
意気軒高なのは雄牛だけだ
死は傷口に卵を生みつける
それはまさしく午後の五時だった
寝床は車つきの棺
面前で雄牛はうなり
部屋は苦痛で虹色に光る
遠くには壊疽が姿を現した
午後の五時
緑の鼠頚部の喇叭水仙の傷口
傷は太陽のように燃える
なんと荒涼たる午後の五時
昼の陽光の翳りの中の午後の五時