2017.04.17 Monday
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闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2012.03.25 Sunday
土曜日はやっと春らしい暖かな日差しが戻ってきた。
そこで自転車に跨り、国境のビダソア川を渡ってフランスに入り、エンダヤから北に向かって、ビスケー湾を左手に見ながら、海に突き出る双子岩を過ぎて更に先に進んだのだった。
久しぶりに気持ちの良い汗をかいた一日だった。
帰ってから脚の筋肉の軽い痛みを感じたが気にもせず、夜にベッドで横になったら夜半過ぎに突然、左脚の脛の筋肉に痙攣が起こった。
こむら返りは何度も経験しているが、脛の筋肉のこれほどの痙攣は初めてだった。
筋肉を伸ばすために爪先立って歩いたりして硬直した筋肉をなだめても、横になるとまたぶり返す。
そうこうするうちに時計は午前2時を回っていた。そうだ、今日の2時に時計を1時間進めて夏時間になるのだ。
腕時計、目覚まし時計、携帯電話、壁掛け時計2個の時間を早めた後で、横になるのは諦めて居間でぼんやりと考えていた。
最近、自転車でハードな運動をすると疲労が残るようになったのは年齢的なものかも知れない。今まで経験したことのない、脛の筋肉の痙攣はその警鐘なのかも知れない。
もう古希を過ぎて久しい。
自転車の乗り方、本の読み方、人との接し方など、生活全般に亘って新しい生き方を作り上げる時期だよ、と天が云っているのかも知れない。
難しいことかも知れないが、今までの人生に別れを告げなければ、体力の衰えのままに自分の内に閉じこもって、旧態依然の生活が続くだけだろう、と思う。
1時間早めた時計はもう午前4時を回っている。
昔から僕の大好きな時間帯だ。読書をするにも、書きものをするにも、静かで落ちついた素晴らしい時だ。
窓を通して、街路灯が柔らかなオレンジ色の明りで照らす、車の往来もまばらなコロン大通りを眺めているうちに、高校生のときに読んだ井伏鱒二氏の漢詩の名訳が、何の脈絡もなく頭に浮かんだ:
《花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ》
2012.03.20 Tuesday
バスク地方の晩冬から初春にかけてシドラ(リンゴ酒)は熟成の季節になるので、季節感を確認しに一度はシドレリア(シドラ酒場)に行かないと落ち着かない…季節の風物詩。
僕はシドレリアほど、《食べる》、《飲む》ことの喜びが率直に無邪気に現れる場所はないのではないかと思っている…大いに食べて飲むがヨッパライはいない、節度のある野放図。
若い女性が肩を組んで歌いだしたりする…昔の新宿の歌声酒場を思い出させる。
シドラはもともと醸造所で振舞われたものなので、酒場も昔はリンゴの木の林があった郊外にあって、大きな樽が20近くも並ぶところの床は石版が敷き詰められている。
このスペースでは発酵が進みすぎないように暖房はなしで、厚着して料理とリンゴ酒を賞味するという次第だ。
基本的には立ち食い、立ち飲みで、無骨な木製のテーブルにはテーブルクロスなどは無縁だ。
スペインの北部地方では秋になると、小粒で少し赤みがさした青っぽいリンゴが大量に収穫される。
器量も良くなく、食してもゴリゴリしていて無愛想なリンゴだ。
だが、今ではもう見かけなくなった日本の紅玉のように、パイにすれば俄然存在感を発揮するように、このリンゴを潰して5000リットルも入る木製の樽に入れて発酵させると美味しいシドラに変身する。
丁度ノルマンジー地方で素朴なリンゴが銘酒カルバドスに変身するように。
シドラが飲み頃になるのは早春で、昔は夏が来ると発酵が進んで樽が破裂するので夏前に飲みきったそうだが、今はステンレスの樽のお蔭で1年中飲めるが、早春が旬であることには変わりはない。
客が集まると樽の管理人が現れ、皆はグラスを持って彼に続き、彼が樽の小さな栓を開けると放物線を描いて飛び出すシドラを次々に受ける。これは空気に触れてシドラが美味しくなるのを利用する知恵で、気泡が消えないうちに飲みきれる量だけグラスに入れる。
黄色味を帯びたリンゴ酒の度数は約6度で、管理人は発酵の進み方が違う樽を次々に開いては、酒の味の違いを客に賞味させてくれる。
さてシドレリア料理は3つの定番しか置かないのが決まりだ。
*《タラのトリティーヤ(オムレツ)》:塩抜きをしたタラをほぐして卵と和えてオムレツにしたもの。
*《タラのソテー》:塩抜きしたタラを、タップリのニンニクで香りをつけたオリーブ油でソテーしたもの。ピーマンを炒めて付け合せるのが一般的。
*《チュレトン》:特大のT−ボーンステーキで、1キログラムは充分にある…これはお変わり自由。
たまに味わう、この素朴さがたまらない。
これで一人30ユーロ(3500円)…僕はウソだろうと思うほど安いと思うのだが、バスクでは高すぎるという人もいる。
戦いすんで日が暮れて…ツワモノたちの夢のあと。
床はリンゴ酒浸し。時計は午前1時半を回っていた。
番外:
見たことがあるような、ないようなシャツを着ていた人がいた。本人は僕に、これは日本語なのか中国語なのかと訊いていた。
キャストの名前から見ると、吉川英治の原作を昭和の初期に日活が映画化したもののアドのようだが、日本人のデザインとしては怪しげだし、スペイン人のものとしては纏まり過ぎている。
誰がこのようなデザインをしたのだろう。
2012.03.14 Wednesday
オンダリビアのマリーナの埠頭に,そのクラブはあった。
風はまだ冷たいが、春が近いことを思わせる気持ちの良い日だった。
バスク地方に住む、若い日本の人たちの会合があったので僕も参加させて貰ったのだった。
食通クラブでは各人が材料を持ち寄って、厨房では男たちが腕を振るい、テーブルでは女性たち、子供たちが待ち構える、というのが一般的なスタイル。
僕はステーキ肉を買っていって厨房で焼いたのだが、当事者のこととて勇姿?の写真がないのは残念だ。
厨房で一番活発だった写真の男性を、彼の仲間は僕に《お師匠さん(maestro)》と紹介してく
れた。なかなか堂に入ったスタイルで、付け焼刃ではないことは一目瞭然だった。
僕はこのクラブを本当に羨ましいと何時も思っている。
20〜30人のパーティーが気楽に開けるので、家族で、一族で、友人たちも含めて、食事と会話を楽しむことができる。食材は各人持ちであるし。
日本では多くの場合に、家でパーティーを開けるほどの居間を持っているとしても、主催する家の主婦が全てを背負い込んでしまうので、彼女たちは何の楽しみもない。
そのために若い世代の主婦は、そのようなパーティーは真っ平御免ということになる。
どのように人と集うのかを考える時期に来ていると思う。このままでは社会的な連帯意識は薄れるばかりだろう。
今更、仰々しく《絆》などというのを聞くと、白々しいなと思うだけだ。
企業が丸抱えの社員とOBのためのクラブで、利益共同体の見慣れた顔同志が集まりたがるのは醜悪としか思えない。
昔、桐島洋子氏が《聡明な女は料理が上手い》という本を書いたが、確かに料理は食材と調味料を合わせた足し算以上のものを作り上げる芸術だと思う。
男女を問わず、空想力、想像力、創造力がなければどうにもならない。
日本の多くの男は料理をするなど男の沽券にかかわると思っているようだ。
男の沽券なるものが、もしあるとしても、それは別のところにあるのだということが分かっていないようだ。
料理はアンチエイジングの良薬なので興味を持ったら、と思うのだが。