2017.04.17 Monday
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闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2012.09.19 Wednesday
僕は第二次大戦後の最大の建設的虚構は、《ヒトラーのナチとドイツ国民は違う、ムッソリーニのファシストとイタリア国民は違う、日本軍国主義者と日本国民は違う》ということだろうと思っている。
人間はそんなに割り切れるわけがない。しかし被害を受けた国の怨念を緩和するためには必要な虚構なのだった。
そしてドイツもイタリアもその虚構に沿って行動している。
靖国神社での14人の戦犯の合祀と、首相や閣僚の参拝はこの虚構を自ら壊してしまった:《軍国主義者と日本国民は一体なのです、今の日本国民は軍国主義者の末裔なのです》と。
世界での損得勘定を計算できないことの愚かしさを思う。
『もう我々は軍国主義者とは違います、違う良識を持った国民なのです』とは云えず、戦争を知らない世代が過去の責任を引き受けなければならなくなっている。まったく馬鹿げた話だ。
戦争中に日本人がどれほど軍国主義者に痛めつけられたか。
原爆を落とされた国が加害者、その後日本を統治した米国と何で同盟関係を結べるのか、誰でも不思議に思うはずだ。
僕が11歳のときにマッカーサが罷免されたときに日本国民は悲しんだ。彼は軍国主義圧制者から日本国民を解放した白馬の騎士に見えたからで、圧制者は軍部だったからだ。
昔、アメリカで一緒に仕事をしていたときアイビーリーグ出の技術者に何故だと訊かれたことがあった。
彼が僕に見せたコピーは戦地の将校から士官学校の教官に当てた手紙だった、その概要は:
『教官、日本兵は武器も弾丸も持たずに重装備の我々に向かって来るのです。自殺行為です。我々は駄目だと分かったら降伏せよ。生きていればまた国家に貢献できると教わりました。こんな戦争は教わったことはありません…』
僕は答えを持っていたが、頭に血が上って『分からない』という言葉しかなかった。
東条は云っていた、『生きて虜囚の辱しめを受けず』と。
捕虜になれば本国の一族がまともに生きては行けない、兵士は武器も弾丸も食料も与えられず絶望して自殺したのだ。
僕は東条と云う人間の卑怯卑劣さには耐えられない。300万の犬死させられた兵士と彼を靖国に合祀するのに何も感じない人の感覚が分からない。
村上春樹氏の《1Q84》を読んだとき、青豆が命を絶つときにミスをしないように小型拳銃の扱い方を訓練する表現があった。僕はとっさに著者は東条の狂言自殺をからかったのだと思った。
職業軍人がネズミも殺せないと云われる22口径しか持っていなかったのか。これでは恰好がつかないと東条の擁護者は32口径だったと云っているが。
いずれにしても青豆の覚悟があれば自殺出来たのですよ、生きて虜囚の辱しめを受けずに済んだのですよ、東条さん。
僕はこんな男と、国のために命を捧げた兵士を合祀する気持ちが分からない。まして中国人や朝鮮民族にはもっと不可解なことだろう。
僕は中韓に安易に謝罪するのは無意味だと思っている。日本人自身が軍国主義指導者を毅然として断罪すべきだった。今となってはもう遅すぎるのだが。
僕は自分の立場を明らかにしたい。僕は社会主義者、共産主義者、捨身飼虎の覚悟のない平和主義者とは縁遠い存在だ。
戦犯という言葉は勝利者の報復とだと気に入らない人もいるだろう。では自分の功名心で2万人の兵士を餓死させた牟田口廉也を我々は裁けたのか。自分は何もせず人のしたことを良識家ぶって論評することが多すぎる。
2012.09.04 Tuesday
今年の冬のことだった。
日本の若い夫妻が現地の人と協同で、サン・セバスティアンの中心部の商業ビル:サン・マルチンの地階のコンコースで、間口3メートルにも満たないスシの屋台を開いていると聞いた。行ってみよう。
店の名は《KOME*COME(米を食べよう)》、小さいながら人気のある屋台だと思った。
しかし落し穴があった。現地人に下心があれば自分たちの言語で契約書を好きなように弄べる。店名も什器の全て取られてしまった。
僕が米国のサン・フランシスコで突然、神経性脱毛症になったのも契約の怖さだった。
名門企業のA産業の英語の達人のT常務が、世紀のペテン師のSに騙されてA産業を消滅させてしまった。それほど他国での契約は難しい。
しかし4ヶ月後に彼らは蘇った。世の中には見ている人は見ているのだ。ビルのオーナーが一階の目立つ場所をオファーしてくれたという。
9月1日にオープン。大盛況。壁のデザインやロゴタイプを見ても、スペインでこれを実現するのも一苦労だったはずだ。
店の写真を添付しよう。
だが彼を追い出した地階の《KOME*COME》は、売り子の中南米系の2人の男女がポツンと立っているだけだった。契約では勝ったが敗者だ。その屋台の写真を撮る気もしなかった。