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菜種油のこと

 

インターネットを見ていたらスペインで1981年に起きた菜種油(aceite de colza)食中毒の後遺症が今も深刻に続いているという。

 

日本では一般的な菜種油は、今はもうスペインにはない。

主流を占めるのは勿論オリーブ油だが、スーパーの棚にはひっそりとトウモロコシ油とヒマワリ油が並んでいるだけだ。

 

ことの発端は、スペインが工業用原料としてフランスから菜種油を輸入したときに始まる。

僕の推測だが、ヨーロッパ経済共同体が設立されていなかった当時は、食品として菜種油を輸入すれば高額の関税がかかるので、食用にならぬようにアニリン(染料の原料にもなる有毒なもの)を混入したらしい。

 

何処にでも悪知恵の働く奴がいるもので、菜種油の沸点は170度前後、アニリンは150度前後なので、この工業用菜種油を両方の沸点の中間で熱してアニリンだけを飛ばそうとしたらしい。

 

この処理済の菜種油を瓶詰めして、移動販売車でカスティージャ・ラマンチャ地方の低所得者に売りまくった。

 

そこで起きた悲劇は、700人を越す死者が出る一方で、今も2万人が後遺症で苦しんでいてスペイン政府は補償に追われている。(加熱したことでどのような化学変化が起きたのかは、当時の分析技術では解明出来なかったらしい)。

 

思い出すのは、中国で乳児用の粉ミルクにタンパク質の量をごまかすために、有害なメラミンを混ぜて売った事件があった。

 

深刻な被害が出たのは云うまでもないが、報道統制のある国ゆえに詳細は明らかにされていない。

ただ知られていることは、これに抗議した被害者の父親が社会の秩序を乱したとして警察に拘束されたということだけだ。

 

今は民主化されたスペインと、共産党独裁国家中国の落差をつくづく感じる。

人口13億人の中国と、4000万人のスペインでは命の価値が全く違うのだろう。

 

戦前、日本の兵士は世界最強と云われたが、それは圧倒的多数が貧農の出身者で、三度のメシが食える軍隊に感謝していたためだという。

 

日本も含めた先進国が、13億人の大半が貧民層の命大安売りの国と事を構えることの損得勘定は明らかだ。

ぬらりくらりと身をかわしながら共産党独裁政権の自滅を待つのが最善だと思う。

 

僕はインターネットでも公開されている、世界各地に住む日本人の声を伝えるNHKの地球ラジオという番組をよく聴く。

 

ある日、中国に住む女性が:『中国では餃子と云えば水餃子のことで、焼き餃子は殆んどありませんが、焼き餃子があっても私はどんな油を使っているのか分からないので食べません』と云っていた。

 

ドブに捨てた廃油をすくって売っていた連中が捕まった、という話をインターネットで知った後だったから納得だった。

 

日本では中国産の生鮮食品が非常に多いが、神経質にスペインの市場で眺めると中国産は殆んどないようだ。

 

Lauburu | スペインで | 04:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

曲がり角

 

10年ほど前に、マドリードは不動産バブルで沸いていたが、僕はスペインという国は大きな曲がり角に来ているのではないかと感じ始めていた。

 

それはスペインには国を牽引する第二次産業、つまり基幹製造業が存在しないからだった。

 

大航海時代に新世界から搾取した巨額な財産は戦争で霧散させてしまい、メリノ種の羊毛輸出に頼って製造業はイギリスとオランダに任せっぱなし。

 

内戦後、独裁者フランコはヨーロッパ諸国から村八分(ostracismo)されたものの、米ソ冷戦の恩恵で、米国に空軍基地を提供して大きな経済援助を受けた。

しかし製造業ではこのフランコ時代に、イタリアのFIATの技術援助で出来たSEAT自動車くらいしか目に付かない。

 

戦後の日本でも自動車産業は日産が英国のオースチンの技術援助を、日野がフランスのルノーの技術援助を受けていた。

それは次の飛躍の布石のためだった。

 

しかしスペインのSEATは、FIATの次にVWの傘下に入って日本の自動車業界のような次の飛躍がなかった。

 

第二次産業の弱い国は脆い。以前、日本では三次産業振興論があったが、僕は馬鹿げた妄想だと思っていた。

 

フランコ時代に、OpusDeiの若手官僚が観光のキャッチフレーズとしてヒットした《Spain is different》も近代スペインでは意味を成さなくなっている。

もう他のヨーロッパ諸国と違わないからだ。

 

僕はペセタ時代のスペインに来て感動した人は、もう来ない方が良いのではないかと思っている。

心の中で思い出を反芻するほうが良いのではないかと…。

 

グラナダ、コルドバ、セビージャ、サンタニージャ・デル・マル…40年前とは全く違うただの埃っぽい観光地になってしまっている。

 

1975年に初めてアランブラを訪れたとき、あまりにも見事な丸天井に(boveda)に陶酔した僕は、床に腰を下ろして1時間以上天井を眺めていた。

いまのボベダは幽玄な青も消えうせているし、まして床に腰を下ろそうものなら観光客の邪魔になるので顰蹙をかうだろう。

 

人間は勝手なもので、自分が失った雰囲気を持つ古きスペインに郷愁と感じたようだ。

しかし今の近代化したスペインは全く違っている。

 

そこにスペインの難しさがある。

 

二次産業の製造業を基幹にして、一次産業や三次産業が後押しするという構図が見えない。

 

スペイン経済での銀行のステータスは高いが、重要な投資先の製造業が貧弱な国の金融業は単なる口銭稼ぎのブローカーに過ぎない。

 

バスクは昔から北ヨーロッパを取引相手にした金融業と重工業があったし、レコンキスタで奪還した土地を山分けして肥大した貴族階級もいない。

 

長い歴史を持つ中央政府との対立、とくにフランコ時代の弾圧がバスクの民族自治運動を生み出した。

しかし今は、バスク人が《どん詰まり》のスペイン中央政府から独立したいという、スペインにとって、もっと深刻な問題が出てきていると思う。

 

1世紀前なら、小国は大国に併呑される運命にあったが、今は独立してヨーロッパ共同体に入れば小国ではなくなるので、バスクの独立意識は失われることはないだろうと思う。

 

中央政府に不信感をもつバスクに居て、僕は沖縄を考える。

薩摩藩に併呑された琉球王国。大戦中はヤマトンチューの弾除けにされた沖縄。米軍基地を沖縄に押し付けて恬として恥じないヤマトンチュー。

バスク人なら絶対に許さないだろう。

 

僕は脅し半分でも、中国の宋時代の文化圏だった琉球国を再興して、中国を含めた交易で琉球経済を維持すべきだと主張する沖縄の若者が出てこないとも限らない。出てこないのが不思議だ。

中国は欣喜雀躍するだろう。

 

我々ヤマトンチューは琉球人に甘えすぎている。

 

 

 

 

Lauburu | スペインで | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

清く正しく美しく

 

僕は以前から経済を支えるためには:

《人間、歯をくいしばっても高いものを買わなければいけないときもある》

と云い続けてきた。

 

『さすがゆとりのある人の云うことは違いますなぁ〜』とか

『企業や資本の論理を知らないの?』とか散々からかわれたが。

間違ってはいないと確信している。

 

1:不景気だ、だから安いものを買おう。

2:その結果、人件費の安い発展途上国に生産を移す

3:国内産業は空洞化する

4:ますます雇用機会と所得が減少する

5:購買力が落ち込む

6:ますます低賃金の国に生産を移す

7:経済の下降スパイラルに落ち込んで自分の首を締める

 

そして多くの先進国が国内経済の不振に悩み、中国だけが外貨を積み上げ、世界に汚染物質を撒き散らし、軍拡をしている。

しかし、これは中国だけを悪者にして済む話だろうか。

 

既に公害対策を持つ先進国が、対策がない国に生産を移すのは屋内のゴミを戸外に掃きだしているようなものだ。

 

世界的な分業システムは重要だし、自国主義は慎むべきだが、地球環境を守るためには相手国の公害対策の能力に合わせて生産を移すべきだし、公害対策能力がつくまで生産を自国に引き戻さなければいけないと思う。

 

これは資本の論理を超えた地球保護の論理なのだと思う。 

またそれが経済の下降スパイラルから抜け出す道だと思う。

 

もうカビの生えたような企業の論理や資本の論理は、今の時代には役に立たなくいどころか有害になっている。

 

僕がスペインで買う米は1キロ150円で、東京で買う米は650円。しかし僕の頭の中では日本の米も150円で、差額の500円は農業従事者が瑞穂の国を守る環境保全費と思っている。資本の論理を信奉する人は僕をアホと云うだろう。

だが僕はひるまない。

 

TPPで日本の米が壊滅するなら、それは日本民族を育む国土の存続を忘れた知性の衰退だと思う。

《安物買いの銭失い》どころか《国失い》だ。

 

いまは既に、世界の水資源、食糧、エネルギー資源は逼迫していて、先進国と云われる国の総人口を上回る人口を持つ中国やインドのような発展途上国の生活水準が上がれば、資源の力ずくでの争奪戦は不可避だ。

 

中国共産党政権が樹立された1949年に毛沢東は云っている:

《人民が食えないとき革命が勃発する》:将に金言だ。

毛沢東の革命で旧体制を革命で倒した中国が、13億国民を養うために軍拡とシーレーンの確保、資源が豊富なアフリカ諸国への経済援助に動くのは、体制の維持のためには当たり前のことだと僕は理解している。

 

13億人を養うと云うことは為政者には大変な圧力で、なりふり構わずの状態ではないのだろうか。

この状態の国に行って《友愛》を説く奇人が居るのが不思議だ。

 

国の存在価値は国民の生命と財産を守ることにあるのを考えれば、中国の行動は特権階級の共産党幹部の既得権の維持を割り引いても分かるような気がする。

 

この中国の明解なメッセージを米国は警戒しながらも理解しているようだが、一体日本国民は何をしたいのか一向に見えてこない。

 

憲法見直し反対、自衛隊反対、米軍の基地反対、オスプレー反対、何を云うのも自由だが、体系化されていない各論反対の思いつきとしか思えない。

日本国民は自分の存続の裏づけを何に求めているのか。

 

《清く正しく美しくは》宝塚歌劇団の話で、世界はそんなに優しくはないし、力の均衡なくして平和はありえない。

本来、平和とは脆くて不安定なものなのだから。

 

釈尊のたとえから、飢えたトラの母子がいたら、我が身を餌として呈する覚悟なのだろうか。それはそれで立派なことだと称賛したいのだが。

 

その覚悟があって、皆さんは《清く正しく美しく》を合唱しているのだろうか。

 



Lauburu | スペインで | 02:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イベリア航空のストで思うこと

 

いまイベリア航空をはじめ、国民運動とも云えるストライキが多発している。           


僅かなスペイン史の知識の中で、僕はこの原因がスペインの風土病とも云える特権階級の《私腹を肥やす癒し難い病》ではないかと思っている。


一例をあげれば、いまスペインでは国王の次女クリスティーナ王女の婿である、バスク出身のパルマ公爵イニャーキ・ウルダンガリンの職権濫用と汚職のスキャンダルで揺れている。   しかし、これも何時ものように揉み消されるだろう。


スペインの特権階級が一般市民を踏みつけて私腹を肥やすのは、歴史書を読んでもレコンキスタ以来の伝統がある。


詳細な数字は詳らかではないが、アンダルシアの土地の70パーセントはアルバ、メディナシドニア、メディナセリの旧貴族が所有しているという。                        彼らにとっては、若者の失業率が50パーセントになろうと知ったことではない。膨大な資産はスイスや米国に逃避させているのだから。


スペインには特権階級を意味するsangre azul(青い血)という言葉がある。むかし一握りの特権階級は、日光が強い戸外に出ないので白い肌に透けて青い血管が見えた。       


しかし大多数の人民は戸外で働かざるを得ず、日焼けするので肌は褐色になって血管などは透けて見えなかった。その構図が今も連綿と生きているようだ。                 


今のスペインが国庫の財政危機から高負担低福祉政策を採らざるを得ないのは分かる。  


だが特権階級が存在すれば、彼らは危機を利用して私腹を肥やすのは古今東西共通することで、スペイン国民は無力感を持っているのだと思う。


共産党特権階級が支配する中国も所得格差が大きく、ジニ係数は危険水域の0.6を越えているという(日本は0.4)。しかし中国は経済成長が顕著でスペインとは違っている。

しかし成長が止まると、近代社会と石器時代社会が同居する中国は、スペインと同じような危機に陥ると思う。

 

Lauburu | スペインで | 03:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

レアルとマンUの試合を見て思ったこと

 

サッカーのレアルとマンUの試合は物凄くエキサイティングなものだった。両軍が必死だった。

 

しかし、そこには汗と涙と土まみれと暴力の日本のスポーツ界の息苦しさ感じない。

 

僕は感覚的にMLB(アメリカ大リーグ)が示す、ゆったりしたスポーツ文化が好きだ。

つまらない試合でもそこに居るだけで楽しめる、あのボールパークの美しさ。

 

ボールパークで若い夫婦が幼子を連れてゲームを見ている。

母は乳児にボトルでミルクを飲ませている。夫は妻に《アーンしなさい》とジェスチャーして食べものを妻の口に運ぶ。

ボールパークは生活の一部になっているようだ。

 

日本の球場の下手なラッパと雄叫びは欲求不満のはけ口なのかも知れない。

 

米国の著名なジャーナリストDoris Goodwinは、少女時代にブルックリンに住み、ラジオのドジャーズの試合を聞きながらスコアブックをつけて、仕事から帰った父に実況放送のように試合経過を説明したという。女史の《Wait till next year》はMLBファンには名著です。

このような野球文化が米国には根付いている。

 

僕は7年前から、年間約1万円強を払ってMLBのインターネットで公式戦2430試合を見ている。

お買い得だと思う。

最近の技術進歩で、とくにiPadでの映像は素晴らしい。

 

そして日本の《野球》と世界の《ベースボール》の違いを実感する。

 

好球が来たら思い切りバットを振る世界の《ベースボール(韓国と台湾を含めて)》と比較して、小笠原流礼儀作法的日本《野球》は全く違うガラパゴス化スポーツだと僕は思う。

 

スペインで僕はインターネットでMLBの試合を見ているが、3年前まで東京に帰るとブラックアウト地区に入れられて実況は見られずに録画だけだった。

 

ブラックアウトとは観客動員のために試合場のある地区に放映しないことだ。

日本とアメリカは何千キロ離れているのか。

 

何故なのだろう?NHKの実況とMLBの録画を比べてみた。

バックネットの下の広告が違う。日本向けの宣伝がMLBのインターネット画像にはない。

 

すぐに分かった。広告代理店の電通がスポンサー集めに、MLBの日本へのインターネットをブラックアウトさせたのだと。

 

無駄だと思ったが、定期購読者の資格を持つ僕はメールで:《NHKが放映しないイチローや松井が居ないゲームを見ている日本のMLBファンを無視することが正しいことなのか》と送った。

 

2ヵ月後にまさかの回答があった:《貴殿のような指摘は日本の多くのMLB支持者から伺っております。真剣に考慮しております》

 

翌年に日本へのブラックアウトは解消された。

 

最近、聞き流すだけで英語が話せるという出鱈目な宣伝があるけれども、ベースボールの好きな人にお勧めは、たった1万円強で生きた英語で画面を見ながらMLBが聞けるということです。

 

一番面白いのは《head first sliding》で、日本語のヘッドスライディングは頭と脚が逆さまで頭でズズーと滑るということになりますかね。

 

WBCにかなり本気になったドミニカ共和国が練習試合でフィリーズとヤンキーズを吹き飛ばした。インターネットで見ていたが迫力が凄い。

メンバーを見ているとMLBオールスターみたいだ。

 

過去の日本の2連覇は、ドミニカ共和国、アメリカ、ベネスエラが遊び半分だったに過ぎないので僕は2連覇を全く評価していない。

 

今回、彼らは半分くらいは本気なようだ。

 

 

Lauburu | スペインで | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

食習慣のこと

 

寒波が去ってやっとイルンにも春が(一気に初夏が?)やって来たようだ。

自転車に乗っても気持ちの良い汗をかく。

 

入り江の向こうのオンダリビアのパラドールの背景をなす小高い丘も霞がかかっている。

もうそろそろサクランボの畑が満開になる頃だ。

 

当然、僕の胃袋も活気がついて市場廻りにも精がでる。

 

スペインに住み、若いときに30回も米国に仕事に行った僕にとって、韓国のWBCでの敗退の後のコメント:《台湾の食事は味が濃くて食欲がなくなった》という、これほど失礼な発言はないと思う。

 

国交問題の両者の軋轢はあるにせよ、文句をいいたいのは台湾の方だろうから、なお更だ。

 

他国に行って、その国の人が普段食べているものを《美味しくない》というほど無教養で無礼なことはない。

 

僕は後輩に外国に行ったら、そこの一般的な食べ物を間違っても《美味しくない》と云ってはいけない、最低限云っても良いことは:《残念ですが日本人の私の味覚に合わないのです》と云いなさいと助言している(ただ海外での日本食店で日本の味覚基準で美味しくないものは美味しくないとはっきり云ってはいるが)。

 

超人的な読者家の故米原万理氏は《味覚こそナショナリズムの極致である》と記しているが、まさに名言だと思う。

 

僕は日本で食す豚の耳や豚足は、徹底的に茹でこぼして脂抜きをしているので好きだが、スペインのバルでは豚の耳(oreja de cerdo)や豚足(mano de cerdo)をそのまま煮込むので、コクがあっても口の中がギトギトする。

口をさっぱりするために赤葡萄酒をガブガブ飲むということになる。

これが食習慣の違いなのだろう。

 

スペインでは一般的に野菜を炒めるときに、日本の辞書には載っていないpocharをする。これはかなり多めのオリーブ油で炒め茹でるという感じで、これもコクはあるが僕は毎日というわけにはゆかない。

 

何年前だったか覚えてはいないが、ある米国人がスペインの世界最高の生ハムを《一年もかけて作るとは信じられない、米国では何時でも新鮮な豚肉が手に入るのに》と云ったのには驚きもしなかった。

 

アミノ酸発酵や乳酸菌発酵食品の奥深さは田舎者(失礼!)に分かるわけがないと思っただけだった。

 

それにしてもローマ帝国が、今の日本人の醤油のように必需品として属領のスペインから輸入した、発酵食品の魚醤(garum)文化はアジアに伝わって残ったのに、どうしてヨーロッパから消えたのか(ウスターソースのLee and Perrinsに少し使われているだけだ)。

 

調べる価値がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

Lauburu | スペインで | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

アップルパイのこと

 

僕は菓子というものはあまり食べないが、イルンに居るときによく食べるものにアップルパイ(pastel de manzana)がある。

焼くと風味が出る紅玉のようなリンゴが豊富に実るからだろうと思う。

 

何時も家の近くのアギーレという有名な菓子店で約7センチ角のリンゴパイを2つ買うのだが、パイを紙の皿に乗せて、包装紙がパイに付かないように細くて硬い紙でアーチを作ってから包装して紐をかけてくれる。

何とも勿体ないので小さなプラスチックケースに入れてもらう。

最初は怪訝そうな顔をされたがecologico(環境に優しい)というと納得してくれたようだ。

 

そこでリンゴに思いをはせる。

 

僕はMACのパソコンが好きで何時も使っているのだが、あるとき会社で発想が独創的なスタッフに:

『何故MACのロゴはかじったりんごなのだろう、丸ごとのリンゴだとデザイン的に面白くないからかな?』、と云ったら、彼は僕の顔をジッと見て

『部長、ご存知ないのですか?禁断の知恵の実のリンゴをかじって生まれたのがMACということなのでしょう』

『そうか、Apple社は正確にはかじったリンゴAppleBitten社だったんだ』

僕は彼の顔をジッと見た。目にはなにか哀れみの色が読み取れたのだった。

 

アダムとイブが蛇にそそのかされて、リンゴをかじって失楽園をしたことは知っている、だがそのこととMACのロゴを結びつけることが出来なかった。

彼の目の哀れみの色の意味が良く理解できた。

 

子供の頃、僕は高輪に住んでいた。この地区は広い屋敷の家が多く、占領軍の幹部が住むために接収された家も多かった。

その接収者の中にはキリスト教の牧師もいた。

 

あるとき僕らは道で青大将を見つけてオッカナビックリ木の枝で突っついていた。

そのとき、何時もにこやかに挨拶する牧師が通りかかって蛇を見たときに、顔つきが変わった。

彼は道端の大きな石を取って蛇の頭を粉々に砕いてしまった。子供の僕には何が何だか分からず、ただ牧師の顔を呆然と眺めていた。

 

お坊さんは殺生をしないと親から教わっていたから。

 

 

 

 

 

Lauburu | スペインで | 18:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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