2017.04.17 Monday
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闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2013.06.03 Monday
5年前だっただろうか、イルンの書店で村上春樹氏の《Tokio Blues》と題する本を見つけた。
僕は氏の著作は殆ど読んでいるが、はてTokio Bluesという著作はあったろうか、と思いつつ書架から引き出して最初のページをめくったら《ノルウエーの森》の翻訳だった。
ヨーロッパ人には余韻を愛でる俳句的感覚の題名は無用だと訳者は考えたのだろう、と思った。
だが僕の《東京ブルース》は60年を超す歳月の屈辱感に由来している。
僕は東京に居るときは日の出とともに自転車に乗り神宮外苑を一回りするのだが、霞町(西麻布)交差点を過ぎて信濃町に向かうとすぐの右側に米軍租界の屈辱的看板が目に入る。
これが敗戦から70年も経った独立国の首都の中心のありさまなのだと情けなくなる。
僕が9歳のときには栄養失調でやせ細り、学校のプールも水道水不足で使えなかった。だが、当時の霞町の米軍租界は今の青山公園まで接収していて、そこに設置されたダイビングボード付きのプールで肉付きのよい日焼けした男女が夏を楽しんでいた。
僕は空腹を抱え強い夏の日差しを浴びながら、金網越しに悔しさの目で眺めるだけだった。
アラブ人はこの米国式生活を持ち込んだことでアメリカ人を悪魔の生まれ変わりと敵意をむき出しにしたが、日本人は情けないことに米兵に《ギブミーチョコレート、ギブミーチューインガム》とねだっていた。
子供の僕でも嫌悪する卑屈なありさまだった…日本の経済発展は米国に媚びへつらったお陰だと云われればそれまでの話だが。
そしてスペイン人よりもバスク人であることを主張するバスク自治州に住む僕は琉球人の屈辱感に思いをはせる。
米国がキューバを目の敵にするのは、地政学的にキューバがフロリダ半島とユカタン半島の南にあってメキシコ湾に蓋をするような位置にあることが大きい。
同じように地政学的に中国や台湾と対峙している沖縄県の仲井真知事の言葉:『日米安保条約は必要だ。だが何故沖縄県が米軍基地の大半を抱えなけれならないのか』という言葉は重い。
世界のパワーバランスを考えもせず、何の具体的な方策もなく空論を繰り返す人たちは仲井真知事の現実の言葉を噛みしめて、同じ日本国民として自分は沖縄のために日本のために何をすべきなのかを真面目に考えて欲しい。
ノーマン・メイラーのエッセイ:Advertisement for myself(僕自身のための宣伝)を思い出す。
ルーピー・ハトヤマの沖縄についての言動は幼稚な《僕自身のための宣伝》以外の何物でもない。
沖縄の基地問題ほどヤマトンチュウの無責任さを露呈するテーマはない…無関心に基づく差別だ。