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にんにく挽歌

 
ニンニクが香辛料としての主役をつとめるスペインで思い出す。

 

日本で僕は人に何時も驚かれる…なぜニンニクと唐辛子に相性が良いのかと。

 

1944年のことだった。父は建築技術将校として応召され、歳の離れた兄二人は有楽座での風船爆弾の製造に学徒動員されていた。

母は僕の幼い弟を抱えて高輪で喉頭がんの義父の世話をしていたので、5歳の僕の面倒を見ることは出来ず、僕は栃木県の山奥に疎開させられた。

 

物資不足の戦争末期に、土地の人たちだって東京から来た子どもの面倒をみる余裕はない。まして配給された一斗缶に入れられたアンモニア臭のするスケトウダラなど僕にはどうしようもなかった。

 

その土地には日本よりももっと貧しい朝鮮半島から移住した人たちがいた。

彼らは野ウサギを捕って肉は当然のこと、腸も割いて小川で洗ってから山の斜面に植えた貧弱なニンニクと唐辛子と粗塩で茹でる…本当に美味しかった。

僕を餓死から救ってくれたのは彼らだった。心から感謝している。

土地の人たちは《半島野郎》は野ウサギのクソ袋まで食べると蔑視していた。

 

僕にとって歴史認識の蒸し返しやサッカー競技場での示威行為は残念だ。

このようなことで相対的に日本を引きずり落としても、韓国は世界の中でどれほどの位置を占められるのだろう。

総合的な国力が上の日本への劣等意識とひがみにすぎない。

 

日本は欧米に追いつけ追い越せで発展してきた。日本だけを目の敵にして韓国は何が得られるのか。

日本外しを画策しても、国際社会での重みを考えればどこの国が韓国に同調するのだろう。

Lauburu | スペインで | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

ラ マンチャの男のこと

 

イルンにいても日本のニュースを見ても、夢のあることは殆どないので読み古したスクリプトを何となくめくってみた:

 

アルゼンチンの名優、ホセ・マリア・ラングライスが演じた初めてのスペイン語版《ラマンチャの男》が南米で公演されたときに主人公は語る:

『狂気とは何だろう?
現実だけに目を向けて夢を持たないのも狂気かもしれない。

夢だけ追って現実を無視するのも狂気かも知れない。

だが、とりわけ最も忌み嫌うべき狂気は、

現実の人生に妥協して、あるべき姿のために戦わないことだ』 

 

そしてドン・キホーテが謳う印象的な歌詞は:

『信念を持って不可能なことを夢見る(Con fe,lo imposible soñar)、

あの遠い星に届こうというのが我が想いなのだEs mi ideal,la estrella alcanzar)』

Lauburu | スペインで | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

1813年

サン・セバスティアンは美しい街だが、その街の家並の歴史は200年と短い。

 

サン・セバスティアンが1813年8月31日にイギリス・ポルトガル連合軍の放火と略奪で灰燼に帰してから今年で200年になるというわけだ。

 

今も残る、放火を免れた猫の額ほどの旧市街はイギリス・ポルトガル連合軍の指令部が置かれて居たためだという。

 

この旧市街には《8月31日》という通りがあって、ここを中心にバルやタベルナが集まっていて、ピンチョスやバスク料理を気軽に楽しむことが出来る。

まさにサン・セバスティアンの古き良きヘソともいうべき地区だ。

 

このサン・セバスティアンへの落花狼藉は、ナポレオン侵略軍をスペイン軍とウェリントン将軍麾下のイギリス・ポルトガル連合軍が追い返したとき、連合軍の軍規のタガが外れてしまったからしい。

これはウェリントン将軍が常々、スペイン国民を《飲んだくれの百姓》などと見下す発言を繰り返していたことも原因とも云われる。

 

この大火を描いたルポ:《1813》を読んでいるときTVEのニュースは伝えていた:

《ソマリアで国境なき医師団の一員として活動中に誘拐された2人のスペイン人女性が7月18日に21ヶ月振りに解放されてスペイン空軍機でマドリードに帰還した》

当然の話だが政府は2人の業績をたたえ、国民は彼女たちをねぎらった。

 

動乱のイラクで子供たちの教育に献身している途中で誘拐された高遠菜穂子氏には、ねぎらうどころか官民挙げて自己責任だ、救出費用は自己負担せよと云ったさもしい国とは大違いだった。

 

僕はこのTVEを見て、今まで違和感を持っていたことを次々に思い出した。

 

2年前だったと思う。TVEは混乱のリビアのトリポリからスペイン空軍機が7人の日本人を救出してマドリードのトレホン空軍基地に連れ戻したというニュースを短く伝えた。僕は考え込んでしまった。

 

自衛隊機での日本人救出は《絶対安全》な状況でなければ行えないという。

ではスペイン空軍兵士なら死んでも良いのか。

スペイン空軍が協力しなかったら同胞を見捨てたのか。

平和憲法を隠れ蓑にすれば、このような身勝手と薄情が許されるのか。

 

内戦と飢餓に苦しむ南スーダンに自衛隊のPKO部隊が派遣されたとき、GDPが日本の50分の1の小国バングラデシュの軍隊が自衛隊の警護にあたった。

平和憲法のもとでは自衛隊員は身を守るためでも銃器の使用は出来ないのだそうだ。

これは外国から見れば:《日本の軍隊は他国の軍隊に警護を頼むのだってさ》という立派な笑いの種になる話だ。

 

いまや金でことを解決することは国際的に通用しないので、日本は実行面でPKOには協力せざるをえない。だからと云って危険地帯に平然と丸腰の自衛隊員を派遣する非情さは何処からくるのだろう。

 

問答無用の平和憲法の一言で日本の理性は雲の彼方に消えてしまうらしい。

 

僕は外国としては米国とスペインしか知らないが、完全無欠な国というものはあり得ないと思うし、国民がいろいろな不満を口にするのは自然なことだ。

しかし僕のような外国人がその不満に同調しようものなら雰囲気は一変する。

不満を克服するのは我々の責任で、君のような外国人のいうことではないと一蹴されるだけだ。

 

だが日本では中韓に批判されると、それが僭越な内政干渉であろうとも、あたかも《神のご託宣》でもあるかのように付和雷同する人たちが多いのは理解不能だ。

 

中韓にとって日本のポチ化を保つために、ことある度に《歴史認識》を持ち出してきた。これは強請(ユスリ)の常套手段だ。

歴史認識を持ち出したらヨーロッパ共同体は成り立たないだろう。

 

敗戦のとき、僕は多くの米軍属が多くの家屋を接収した港区の高輪に住んでいたので米国人の行動様式が分かった。情けないことも多かったが概して米軍の占領政策は《占領軍としては》紳士的だった。

米国はソ連との冷戦に備えて日本を利用することが得策と考えたのだろう。

 

これが日本人に妙な勘違いと能天気をもたらした…外国に支配されても大した不便はないのだと。

 

もし米国が敗戦国の日本の民族意識も文化も徹底的に弾圧していたら、我々は祖国と文化がどれほど貴重なものかを身にしみて感じたことだろう

…日本民族が自己同定する点から見ればその方が良かったのかも知れない。

 

今から90年前にスペインの碩学オルテガは、健全な自我も持たず行き当たりばったりの祖国を嘆いて《無脊柱のスペイン(Eapaña invertebrada)》と記したが、今の日本もまさに《無脊柱の日本(Japón invertebrado)》だと云えるだろう。

世界に誇りうる美点は数限りなくあるのに。

 

現行の憲法は1947年に公布され、その後60余年間で世界は激変した。

僕は普通の頭を持つ人なら、憲法を《変える変えないは別にして》現在と将来を見据えて冷静に憲法を見直そうと考えるのが普通だろうと思う。

 

衆院選も参院選も保守が圧勝した。

僕は日本を右傾化に追いやって危うくするのは、国際的な力の均衡と日本の役割を考えもしない、子供じみた平和主義や理想主義だと心配し続けてきたのは杞憂ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

Lauburu | スペインで | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

ヨーロッパでの入国審査

 

この2年、僕はヨーロッパでの入国のときに毎度いやな思いをさせられている。

その原因はパスポートに押印された出入国記録によるものだ。

 

どこの国でもパスポートの余白に、体系立たずに適当に出入国スタンプを押印するのは何故なのだろう。

 

僕は東京の自宅の管理のために2ヶ月半毎にヨーロッパを離れるので長期滞在ビザはとっていない(90日以下の滞在にはビザは必要ないので)。

 

しかしパスポートコントロールの係官が僕のパスポートの23頁に押印されたものだけ見れば、2011年3月1日にヨーロッパに入って190日滞在して2011年9月13日に出たと誰でも思うだろう。

 

だから僕は出入国管理法違反だと追求される。

《シェンゲン協定》を知っているかとか、《協定でビザが要らないのは90日以下》なのだとか。


そこで僕はパスポートの5頁の記録と照合して欲しいと依頼する。




この二つを照合すれば2011年3月1日にヨーロッパに入って5月2日に出たのと、2011年7月4日にヨーロッパに入って9月13日に出ているのが明らかなので出入国管理法違反はしていないことがわかる。

 

しかし係官がパスポートを子細に調べて納得するまでに何時も20分以上の時間がかかる。

とくにヘルシンキでは時間がかかる。

乗り継ぎ時間にゆとりがあれば『どうぞごゆっくりお調べください』と落ち着いていられるが、時間がないときには本当に腹が立つ。

 

現代のようなコンピューターでのデータ管理が進んでいる時代に、このようなスタンプでの押印という前近代的な手法を何時まで続けるのだろう。



 

Lauburu | スペインで | 12:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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