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恵比寿にて〜5

*今日、米国大統領の信任状を携えた駐日米国大使が天皇陛下への信任状奉呈に参内した。
参内に当たっては儀装馬車を使うのだが、これは日本以外では英国、スペインなど数カ国らしい。そしてこの儀式は特命全権大使に限られているという。

以前、僕は12カ国の大使が入る公邸マンションの管理責任者になったとき、先ず調べたのは1961年に発効した《外交関係についてのウイーン条約》だった。
そして外交官特権の強大さに驚いた。たとえば供用部分を除いた大使の居室で何らかの原因で火災が起きても大使の許諾なしに建物管理者も、消防も、警察も立ち入ることが出来ない。仕事には問題がつきものだが打つ手がない無力感だった。

大使閣下たちとのパーティーが催されたとき名刺交換が行われた。

先方の肩書きは英文で:

Extraordinarily and Plenipotentiary Ambasadorだった。特命全権大使の本質を実感したのだった。
それにしても僕の名刺の肩書き:Senior Managing Directorの軽さには吹き出したくなった。
このときに、以前から辟易していた名刺の肩書きの世界には別れを告げようと思ったのだった。

親しい人と久しぶりに会ったとき先ず《名刺、メイシ》と手を出されるときの不快さはなかった。僕の社会的地位を確認したいからだけだったから。



*僕の家から見て恵比寿ガーデンプレースの向こうに閑静な住宅地がある。
ここを散歩するときの楽しみは端正な和風住宅を見ることだった。一寸五分の垂れの浅い一文字軒瓦のはかないまでの美しさ。
そこが六ヶ月見ないうちに更地になっていて低層マンションが建つという。ガッカリした。
だが無理もない、一文字瓦を葺ける職人が今どき何人いるのだろう。居たとしても万十軒瓦を葺くのとは費用が桁違いだろう。
子供の頃に耳にした、一文字瓦を葺く職人が納まりを良くするために小さな金槌で瓦をはつる音。乾いて澄んだシャンシャンシャン、シャンシャンシャンという音色はもう聞くのは難しい時代なのだろう。



*サッカーの門外漢でもベルギーとの試合を見て《やるなー》と思った。
それにしても日本のユニフォームを初めて見たが旭日旗を思わせると非難するのは《病膏肓にいたる》あるいは《パラノイア》としか思えない。
では何故、《旭日旗》そのものの朝日新聞社旗を非難しないのか。
それはそうだ、保守政権を倒すための同志だものね。



 
Lauburu | 東京で | 17:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜4

*いま日本ではエビの偽装表示が問題になっているがスペインの表示はもっと正確なような気がする。                         

bogavante:ハサミのある大型のエビでメインロブスターのようなもの
langosta:イセエビに似ている
langostino:車エビに似ている
gamba:小型のlangostino
camarón:芝エビに似ている(高価なもので塩ゆでにすると辛口の白ワインが止まらなくなる。カメルーンという国はポルトガル人がカマラウン:camarãoが多い国といったのが語源だという。エビの価値は見かけの大きさではないようだ)


*昨夜、学生時代の友人たちと天麩羅屋で飲んだ。
僕は天麩羅は好きだが天麩羅一筋は夕食にはあまりぴんとこない。やはり昼食ではないかと思う。
板さんに《僕はゴボウのかき揚げが大好きなのに店で出さないのはどうして?》
《わたしも大好きですよ、でもゴボウではお金をいただきにくいのですよ》

ハッと思った。ゴボウはありふれていてもプロのかき揚げは違うはずだ。材料以上にプロの技を評価すべきではないのだろうか。
材料云々は次の話ではないのか、レストランとはプロの技と雰囲気を楽しみに行くのではないのか。


*社会に出たとき先輩に厳しく諭されたことがあった。
《目標》と《願望》を取り違えるな。方法論を持ったものが《目標》で持たないものは《願望》に過ぎない、と。
僕も原発は否定的だし市井の人間として、それが《願望》であっても許されると思っている。
しかし為政者が僕と同じレベルの《願望》を唱えるのは無責任ではないのか。
Lauburu | 東京で | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜3

*僕が初めて猫と親密に出会ったのは25年前のマドリードだった。
オルーロの家に着いたときに仔猫がいて長女の書き置きがあった:
《捨て猫です、牛乳とパンがありますので養ってください》

僕は猫と付き合ったことはなかったので指示どうりにした。可愛がらなければと思って身体をなぜると抗って僕の二の腕はミミズ腫れが何筋もできた。何故だ?

きのうTVの番組で《マルタの猫》が放映された。僕は猫には興味はないがハメットの《マルタの鷹》の二番煎じかと思って観ていたら大違いだった。
人間と猫との隠微な関係がジーンと伝わって90分が一気に過ぎてしまった。

マドリードの仔猫は一宿一飯の恩義は感じても、見ず知らずの僕に弱点の喉や腹に触られるのは猫の矜恃が許さなかったのだろう。

 
*今朝、青山斎場を自転車で通り過ぎたとき警官が3人門の前にいて物々しい雰囲気。
いつもは墨痕淋漓と○○氏葬儀とあるのにそれがない。どのような大物の葬儀なのか。
昼のニュースで島倉千代子氏の葬儀と知ったのだった。

前の話だが早朝に青山斎場を通ったときに十数人の若者が門の前で開門を待っていた。門の後方には張りぼてのアーチがあってコバルトブルーの切り文字で漢字で《サカイセンスイ》と記してあった。
僕は自転車に乗って40年。外苑の野球場や国立競技場に徹夜で並ぶ人たちは何度も見てきた。こんなことは初めてだった。
《坂井泉水》を《イズミ》と読むのを知ったのはかなり後のことだった。
Lauburu | 東京で | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2

*日本特有のことだと思うのだが不祥事があると最敬礼して謝罪する。《頭を下げたところで減るもんじゃなし》と思っているとしか思えない。あまりにも軽薄だ。                                                                                    たしかに日本国内では通用する儀式かもしれないが国際的には通用しない。日本は敗戦後に高額な賠償金を払っているにもかかわらず韓国から因縁をつけられると頭を下げ続けてきた。一度頭を下げればひざまづけと言われ、ひざまづけば土下座しろと云われるのが世の常識だ。
卑屈な態度が韓国を増長させ日韓関係を泥沼に陥らせてしまった。

*東京の隣人が嫌いだからといって名古屋や大阪に行って悪口を云われても先方は困惑するだけだろう。欧米で日本を非難する隣国の大統領は何を考えているのだろう。欧米は内心で《まあ仲良くしてくださいよ、戦争は困ります、よはた迷惑ですからね》と苦笑するだけだろう。
日本は冷静に《国交断絶しても困るのは先方だよ》とドンと構えれば良いだけだ。



*加工牛肉の偽装が問題になっている。日本の霜降り肉礼賛が根本にあるのだろうと思う。
イルンの市場で霜降り牛肉を見かけることはなく:
añojo
:1〜2歳の牛肉
novillo
:2〜3歳の牛肉
buey:虚勢成牛の肉
vaca:雌の成牛の肉
と分かれているし、注文に応じて塊から切り分けてくれる。

むかし畜産物の集散地で有名なシカゴでホテルが薦める有名なステーキハウスを訪れた。
カポネの時代を連想させる古びた重い木の扉を《ギー》と引いて中に入ると肉屋があった。
はて、間違えたたかと思ったら、そこで好みの部位と重さを注文するのだった。
《ニューヨークカットにしてください》《ここはシカゴだよ、シカ《ギ》カットだよ》《では7オンスで》《それはkids:ガキの量だよ、10オンスにしときなさい》
木の扉を引いて中に入ったら50人以上の人がステーキを楽しんでいた。米国の牛肉がこんなに美味だとは。

このシステムでは偽装の余地は全くない。

インターネットでしらべたらステーキハウスKinzieは40年後の今でも盛況のようだ。
 
Lauburu | 東京で | 18:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて

*ロンドンから末娘一家が来日。孫の明(アキラ)は5歳になって随分大人びてきた。
早速アキに庭の柿の実を採ろうかというと大喜び。異常気象のせいか実は熟し切って
いないので、酒を噴霧してビニールの袋に入れる。
アキに《お酒をかけると甘くなるのだよ、甘くなったら食べようね》と云ったら彼は
云う《お酒は頭に悪いからボクは食べない》
一言もなかった。

*僕は昔から健康法として筋肉に軽い負荷をかけるために3キロのダンベル2個と、
手首や足首に巻く2個の1キロのソフトアレイを使ってきた。
僕が使うのを見てアキは自分でもやり始めた。《アキ、子供が重いものを持つのは
身体に良くないのだよ、全部合わせたら何キロになると思う》、彼はとっさに
《8キロ》と答えたのには驚いた。
物心ついてからスマホなどをいじっている世代は、僕らの子供の頃とは全く違うらしい。

*山本太郎という子供じみた議員が粗相をしたという記事を読んで思う。
無所属の泡沫議員が天皇に直訴したので国際問題にならなかったが、もし保守系の議員が
自分の言い分を直訴したなら、中国や韓国は《日本は戦前の皇国思想を引きずっている》
と大騒ぎして国際問題になるだろう。
天皇への直訴はやり方によっては大きな国際問題になるという認識がない人間を国会議員
にすることの迂闊さを思う。

《太郎坊や》は原発作業員の悲惨な現状を天皇に伝えたかったそうだが、政治に関与しない
天皇を困惑させるだけの話だ。人間天皇に何を望んだのか。天皇の人権を無視した愚かな身勝手な話だ。

僕は大企業から外れた位置にいたので彼らの横暴さは身にしみて感じている。そしてハイアラーキー
の下部にいる人たちの悲惨さは東電福島だけが特殊なのではない。日本の社会構造の恥部なのだ。
このような状況に身を置いた人たちは、何とかしてこの状況を改善しなければと腐心している。
《太郎坊や》のようなスタンドプレーをしないだけだ。

《太郎坊や》は立法府に身を置いている。立法府とは《law maker》なのだ。
現場の近くで労務改善に努力する多くの人たちを、立法府の立場で掩護するという自分の
本分を忘れた浅薄さが目に余る。



 
Lauburu | 東京で | 19:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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