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恵比寿にて〜13

【子供たちが好きな栗きんとんを作るといって栗の瓶詰めを買った末娘がロンドンに帰るときに、僕はサツマイモはロンドンにあるのかと心配したが、やっぱり手に入れるのに苦労しているようだ。


僕はサツマイモには中学生のときの強い思い出がある。
都心の進学校なのに農業の授業と実習があった。目蒲線の沼部から遠くもない多摩川の河川敷に農場があって、ここでサツマイモを栽培するのだった。
肥料は人肥で管理事務所の汲み取り便所で大きなヒシャクで樽に満たす。これを堤防を越して農場に運ぶのだった。



木製の天秤の真ん中に肥桶を下げて前後二人で運んでゆく。だが素人の悲しさでタイミングが合わず肥桶からはチャポチャポと撥ねが上がって靴とズボンの裾に降りかかる。
農業とは生半可な気分では出来ないことだと中学の2
年生の時に教えられたのだった。
管理人は云った。農民は肥桶を前後に吊るして一人で二桶を運ぶのだよ。

 
【大晦日とはいっても大したことはしない。小さな家の一人住まいだ。掃除機をかけて汚れたところにモップをかけるだけだ。

年末が憂鬱だった子供の頃を思い出す。
細かな仕事の仏壇磨きもイヤだったが障子張りが重かった。
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張の障子を外して逆さまにして霧をかけるが上手く紙がはがれない。刷毛でこすって桟についた紙を落とすのが一苦労。
障子紙を貼って終点をカミソリで切るときに湿った紙がよく切れない。たごまってしまうのだった。

全部貼り終わって障子を立てると紙はたるんでいてがっかりする。
兄が云う《霧を吹きつければ明日にはピンとするのだよ》
元旦に障子紙がピンと張っているのを見るとホッとしたものだった。

いまの僕の経済力では日本家屋に住むのは残念ながら無理だ。
古民家の構造部材を買い取って平屋の屋根は三州一文字瓦、外壁はくすんだ芥子色の漆喰の家を建てられたらな、と夢は見ては
いるが。
 
 
Lauburu | 東京で | 17:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜12

【権勢の威勢のよい時流になると僕の中では警戒警報が鳴り始める。
敗戦後の困難な時代に父は10歳の僕を連れて商機を求めてよく出かけたものだった。
銀座の和光は接収されて米軍属だけが利用できるPX(米国直輸入の豊富なものを供給する)で、周りには薄っぺらな派手なスフの衣装の女性が群がっていた。
松本清張の《零の焦点》の世界だった。
苦しんだのは庶民だけだった。特権階級には関係のない話だった。せいぜいT男爵夫人がナイロンのストッキング欲しさにGHQの高官の妾になった程度だった。
 
【僕は70歳になった4年前に車にはサヨナラをした。
目が悪くなったのとエンブレムを外せばトヨタもホンダも日産も区別が付かないので魅力がなかったからだ。
だが最近発表されたホンダS660やスズキKOPENは、もし20歳若かったらと思うほど斬新だった。
遊び車のチョロQの魅力だ。他国では作れない車だ。
カリフォルニアのカーメルやモンタレイの17マイルドライブを走ったらおもしろいだろうな。それが出来ない年齢になったのが恨めしい。
 

【世界の近親結婚による劣勢遺伝の代表的な例としてハプスブルグ家の顎、ブルボン家の鼻が有名だ。
炊き出しを行った猪木氏を見ていたら,もしかして高貴なハプスブルグ家の血筋を引いているのかと思ったりした。
プラド美術館でドイツ皇帝カール五世でスペイン国王カルロス一世の肖像を見過ぎたのかもしれない。

 
Lauburu | 東京で | 13:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜11

【10日ばかり帰国した末娘がロンドンに帰った。また一人暮らしが再開したので近所のスーパーに買い物に行く。
店内に僕にとっては初めて聞く乗りの良い曲が流れていた:《窓辺のレイディオから流れるオールデイズ…》。インターネットで歌詞から検索したら30年前に少女隊が歌ったものだという。
30年前の曲に乗れるということは今様には外れていると云うことかもしれない。
 
【今日SF 49ersのCandle-stick parkでの最後のゲームがSFの勝利で終わったのを見ていた。
老朽化で建て替えるそうだ。この球技場が懐かしく思い出された。
僕はサンフランシスコは米国に行くときのハブにしていたので20回以上行っただろうか。

空港からダウンタウンに向かう途中の右手に、海にせり出した小高い土地にCandle-stick parkが建っていて照明塔がロウソクのような感じだった。
その時にはSF Giants
ホームでもあった。球場に入るとレフトからホームに強い風が吹いていた。
そうだったのか。僕が最高の野球選手と確信するウイリー・メイズが50本ホームランを損したということが実感できたのだった。

 
【僕は第二次大戦後の最大の建設的虚構は、《ヒトラーのナチとドイツ国民は違う、ムッソリーニのファシストとイタリア国民は違う、日本軍国主義者と日本国民は違う》ということだろうと思っている。
人間はそんなに割り切れるわけがない。しかし被害を受けた国の怨念を緩和するためには必要な虚構なのだった。そしてドイツもイタリアもその虚構に沿って行動している。

靖国神社での14人の戦犯の合祀と、首相や閣僚の参拝はこの虚構を自ら壊してしまった:《軍国主義者と日本国民は一体なのです、今の日本国民は軍国主義者の末裔なのです》と。世界での損得勘定を計算できないことの愚かしさを思う。
『もう我々は軍国主義者とは違います、違う良識を持った国民なのです』とは云えず、戦争を知らない世代が過去の責任を引き受けなければならなくなっている。まったく馬鹿げた話だ。

戦争中に日本人がどれほど軍国主義者に痛めつけられたか。
原爆を落とされた国が加害者、その後日本を統治した米国と何で同盟関係を結べるのか、誰でも不思議に思うはずだ。
僕が11歳のときにマッカーサが罷免されたときに日本国民は悲しんだ。彼は軍国主義圧制者から日本国民を解放した白馬の騎士に見えたからで、圧制者は軍部だったからだ。

昔、アメリカで一緒に仕事をしていたときアイビーリーグ出の技術者に何故だと訊かれたことがあった。彼が僕に見せたコピーは戦地の将校から士官学校の教官に当てた手紙だった、その概要は:『教官、日本兵は武器も弾丸も持たずに重装備の我々に向かって来るのです。自殺行為です。我々は駄目だと分かったら降伏せよ。生きていればまた国家に貢献できると教わりました。こんな戦争は教わったことはありません…』
 僕は答えを持っていたが、頭に血が上って『分からない』という言葉しかなかった。東条は云っていた、『生きて虜囚の辱しめを受けず』と。
捕虜になれば本国の一族がまともに生きては行けない、兵士は武器も弾丸も食料も与えられず絶望して自殺したのだ。
 僕は東条と云う人間の卑怯卑劣さには耐えられない。300万の犬死させられた兵士と彼を靖国に合祀するのに何も感じない人の感覚が分からない。
村上春樹氏の《1Q84》を読んだとき、青豆が命を絶つときにミスをしないように小型拳銃の扱い方を訓練する表現があった。僕はとっさに著者は東条の狂言自殺をからかったのだと思った。                                     職業軍人がネズミも殺せないと云われる22口径しか持っていなかったのか。これでは恰好がつかないと東条の擁護者は32口径だったと云っているが32口径でも自殺できなかったのはお笑いぐさだ。

いずれにしても青豆の覚悟があれば自殺出来たのですよ、生きて虜囚の辱しめを受けずに済んだのですよ、東条さん。
僕はこんな男と、国のために命を捧げた兵士を合祀する気持ちが分からない。まして中国人や朝鮮民族にはもっと不可解なことだろう。
僕は中韓に安易に謝罪するのは無意味だと思っている。日本人自身が軍国主義指導者を毅然として断罪すべきだった。今となってはもう遅すぎるのだが。
僕は自分の立場を明らかにしたい。僕は社会主義者、共産主義者、捨身飼虎の覚悟のない平和主義者とは縁遠い存在だ。
戦犯という言葉は勝利者の報復とだと気に入らない人もいるだろう。では自分の功名心で2万人の兵士を餓死させた牟田口廉也を我々は裁いたのか。自分は何もせず人のしたことを良識家ぶって論評することが多すぎる。
 
 
 
Lauburu | 東京で | 15:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜10

【国際線の航空機でウエルカムドリンクとして出されるシャンペンには首を傾げる。
炭酸が刺激的過ぎる。
もっと安いイタリアやポルトガルの発泡酒のほうがはるかにましだ。
銘柄を売り物にするのは万国共通らしい。
 
僕はサシの入った和牛肉は嫌いではないが、何時も脂の風味を味わっているのではと思っていた。
初めて牛肉の味を知ったのはイルンに行ってからだった。炭火で炙ったものに塩を振るだけだ。250グラムもぺろりだ。食材が良ければ誰だって美味しく料理できる。
 
平凡でありきたりの食材で顧客の味覚を満足させるのがプロだろうと思うし、偽装はプロの誇りを捨てた結果なのだろう。
 
【僕はマスメディアを信用していない。
中学3年のときに22人の2年生が相模湖で命を落とした。学校に新聞という野次馬が蝟集してきた。そのとき僕らと一緒に居たのは教師志望で校風を調べに来た若い人だった。新聞記者が彼に問う、《あなたも教育者として責任がありますよね》、彼は困惑して《まあ、そうでしょうね》。
 

翌朝の新聞はひどいものだった。《教師が、まあそうでしょうねとは何と無責任な》とわめき立てた。僕は彼に何故反論しないのかと訊いた。彼は云う、《彼らは間違っていると分かっても認めないのだ、カラスをサギと言いくるめる天才だからだ》
これは偉大な教訓だった。
多くはないが僕が経験した事件の近くに居ると、新聞記事は良くて30パーセントが事実、40パーセントが伝聞、30パーセントが貧しい知性に基づく独断にすぎない
 
インターネット時代は新聞を不要にしている。居ながらにして世界の情報が得られるので新聞におしえてもらう必要はなくなってしまった。
 
 
 
Lauburu | 東京で | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜9

【朝の7時にジョギングで目黒駅周辺を通るとマックやすき家や吉野家の朝食が繁盛している。出勤前なのだろう。毎日が日曜日の僕は何となく居心地が良くない。40年も働いたのに割り切れないのだ。

スペインの人生の区切りのつけ方は素敵だ。
第一の人生(primera vida
):生まれてから社会に出るまで親や社会に助けられて成長する時期
第二の人生(segunda vida
):社会に出て社会のために尽くして今までの恩返しをする時期
第三の人生(tercera vida):もう借りは返した、自分の好きな道を堂々と歩こう
 
 
【青山墓地の葉が落ちた桜並木を自転車で走った。ネコが出てきたので僕はブレーキをかけて急停車した。
以前、桜並木が満開の青山墓地を走っていたときにネコが出てきた。犬はサッと通り過ぎるのだがネコはすくんでしまう習性をしらなかった。
僕はネコに乗り上げてでんぐり返った。ネコも痛かったろうが僕も痛かった。
 
しかしネコ君の与えてくれた教訓は貴重だった。でんぐり返りながら瞬間的に絶望的に見たコマ落としの映像のような満開の桜は今までに見たこともないものだった。続く左の肘と肩と腰への衝撃と鈍痛。
 
二本脚で立って見る当たり前の桜とは全く違う。たまには逆立ちしてものを見る価値をネコが教えてくれた。
 
 
【夕方に外出から帰ったら2人の男が我が家の敷地に入って写真を撮っていた。これで3度目だ。隣のワンルームマンションの一部か全部が売りに出されていて不動産屋が口銭稼ぎに群がっているようだ。
僕は日本の不動産屋が千三つ屋と呼ばれるほど程度が悪いのは分かっているが悪質すぎるし泣かされている人も多い。

米国ではエスクロー制度、欧州では公証人制度があって不動産取引には権威ある仲介者が入って取引の健全性を担保している。日本の不動産取引は先進国のそれとはほど遠い。


 
Lauburu | 東京で | 14:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜8

【渋谷のハチ公の後ろで秘密保護法反対のグループが騒いでいた。僕は冷ややかな目で一瞥しただけだった。

60年安保の時に武蔵小金井駅でH大とG大の学生に取り囲まれて僕は体制の犬と罵られた。
黙っていた。勝負は社会に出て自己責任で生きるときなのだ。
社会に出て僕は体制批判になり、僕を罵倒した連中は見事な体制になった。
60
年安保で言行一致したのは唐牛健太郎と秋田明大の二人だけだった。

雑兵の革新やリベラルはファッションに過ぎなかった。彼らは体制の犬になり下がった。
 
日本に重要事項を流すのは《ザルに水を入れるようなものだ》というのが昔からの国際評価だ。
自由主義世界の重要な一員の日本に、いまさら治安維持法の復活だという革新やリベラルと称する人たちのアナクロには呆れるだけだ。
 
 
【友人から新宿で一杯飲みに行く前に都庁の上から夕日を見ようよと云われた。
だが見ても僕は何の感慨もなかった。
 
日の出も夕日も有史以来毎日繰り返されてきたことだ。自分の歴史観や人生経験に重ね合わせなければ何の感慨もわかないのだろう。
 
何年前のことだったか、巡礼の道の最終点のサンチアゴから更に西のFinisterre(地の果て)に行ってみた。1000も前の人たちにはその向こうには何があるのかが分からない畏るべき地の果てだったのだろう。

髪の毛を吹き飛ばしそうな西風に向かって沈んでゆく夕日を見ていると足下は暗闇なのに空はまだ明るい。
夕闇は地上から空に向かって広がるのだと初めて知ったのだった。
 
その時、僕はコードウエルの小品《Kneel to the rising sun》を思い出した。周りには誰も居ない荒涼たる断崖の端で、僕は感覚的に1000も前の人たちのように《沈む太陽にひざまずいていた》。


【横浜にある僕が好きな味付けの中華料理店に行った。偽装食品の後遺症だろうか店頭には当店のエビはパナエビとシロエビですと書いてあった。

好物のピータンを注文したら、中国で問題がありましたのでお出しできませんと云う。では今まで僕は毒ピータンを食していたのかな。
この二つは意味が違う。食材の偽装と有害食品とは全く違う。


メニューには上海蟹の炒飯があった。汚染された川でも繁殖するモクズ蟹を食べる気にはならなかった。
Lauburu | 東京で | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜7

【天皇と皇后がガンジーの霊廟に行かれて日本語と《英語》で記帳されたとマスメディアは云う。
明仁は日本語と分かるがAkihito
を英語と称するのは如何なものか。スペイン語でもフランス語でもイタリア語でもAkihito
だから。
 
【BBCを見ていると英国の首相が北京を訪れて尖閣やチベット問題への共感を婉曲に表現したという。
笑えるのはコメンテーターが中国が設定した識別圏の場所を4度もSouth China Sea
と繰り返したことだった。無責任な話だ。
本質などはどうでもよい、米日中がぎくしゃくしているときに漁夫の利を狙っているのだろう。

 
【僕が15歳、1954年だったと思う。英国の産んだ名車Morris Minorを見たときに、このような車を持てたらいいなあ、と思った。
その車が2000年になってもロンドンで走っているのを見てびっくりした。英国での車のリストア業界のシステムはどうなっているのだろうか、と思う。

僕は1965年に、今はないプリンス自動車のPrince Skyline 2000GTに飛びついた。いとおしくて32年間持っていた。
NISMOでリストアしようにも日本ではリストアは滅多にないので、部品は特注になるという。
リストアに300万円かけても車を日本で引き継ぎする者はいない。あきらめてCーグラフィックの仲介で愛好者に譲ったのだった。
70歳になった時に免許証を返納(いやな言葉だ)した。
視力の衰えもあったが、本田宗一郎、Colin Chapman Enzo Ferrariに夢を感じる時代は終わったのだ。郷愁は捨てようと思ったからだった。
 
数年前に古い付き合いの運動の生理学の大家から:
《自転車は素晴らしい運動効果があるけれども、年齢とともに歩く走るが難儀になりますよ》と云われたことがあった。
最近それを実感しているので、軽いジョギングを始めようとシューズを買って昨日の早朝走ってみた。
ガーデンプレースー上大崎ー目黒自然園ー白金台というコース。ジョガーから見れば笑うべき距離とスピード。
颯爽と追い抜く女性ジョガーの軽い靴音。僕の靴音はペタペタペタ。
いでたちは自転車用の、股にクッションの入ったタイツと背中の下が膨らんだウインドブレーカー。明日はジョギング用の衣服を買いに行こう。

翌朝、大腿部の内側の筋肉痛。衣服を買いに行くどころではない。

でも40年前に自転車を始めたときを思い出した。めげてはいけない。
だが30代で始めた自転車と70代のジョギングは訳が違うのを忘れるなよ。
 
【日本の最新版のミシュランが話題になっているようだ。
僕もスペイン版を異国の便利な情報源として使っているが、本屋にミシュランの外国版はあってもスペイン版はないことが多い。
訊いてみたら:《スペイン人はミシュランにスペインの食を教えて貰おうとは思わないからだ》
僕も同感だ。

 
【スペインの地中海に面した街、カルタヘナの近郊を車で通ったとき海に大きな生簀が4つ浮かんでいた。マグロの養殖場だという。これで個体数が激減しているマグロの種の保存は出来るのかなと思った。

しかし調べてみると、成魚から魚卵を採取して育てる完全養殖は難しいので、小型のマグロや痩せたマグロを肥育する蓄養場だった。これでは資源の保存にはならない。

近畿大学の完全養殖技術は画期的なものだ。40
年以上の歳月を必要としたそうだが。

 
【ジョギングで通る白金台の旧朝香宮邸の東京都庭園美術館が2年近くかけて改修中だ。
昭和3年に建てられたものだから手がかかるのだろう。アールデコ様式でルネ・ラリックの照明器具もある。
西武鉄道が所有していたとき此処にマンションを建てることが分かって世論が沸騰。東京都が購入することになった。堤義明という人物の文化はそっちのけの金まみれ人生に驚いたのだった。
僕はいまの中国の金まみれを批判できない。日本だってそうではなかったか。
Lauburu | 東京で | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜6

【恵比寿はオフィスビルが多くなって昼食をとる席数が全く不足している。そこで三越のデパ地下やコンビニや飲食店の店先での弁当合戦が華やかだ。


つくづく思う、日本の弁当文化の多様さを。単価は500円前後だ。和・中・洋からエスニックもありだ。きょう人気だったのは850円のステーキ弁当だった。
僕は興味があるので売店を覗き込むと《割り込まないで》と叱られる。

 
バスクのピンチョスは素晴らしい。味も視覚的にも素晴らしい。
だが弁当文化はスペインにはない。
 
僕はスペインの観光地で彼らが弁当を食べるのは何度も見てきた。ボカディージョとチーズと生ハムとトルティーヤが定番だ。
桜花や紅葉を愛でながら弁当を楽しむという感性はないようだ。


【全電化住宅が前年比で4パーセント伸びて復活の兆しがあるそうだ。喉元過ぎれば、か。
僕は30年来暖房や給湯に電力を使ってはいけないと言い続けたが一顧もされなかった。
暖房や給湯に電力を使っている人が反原発などという資格はない。
 
【庭に落ちた柿の葉をかき集める。昔はたき火をしたものだが今は禁止だ。
熟れた柿がたくさん枝にあるが、毎年群れをなして飛んでくるメジロが一向に姿をあらわさない。なぜだろう?
ときどき、今までになくカラスが群れを作ってけたたましく輪を作って飛び回る。
動物は人間にはない予知能力があるという。不安だ。

そういえば庭を我が物顔で歩き回っていた野良猫の姿も消えてしまった。
日本に帰って地面の揺れを感じることが多すぎる。

 
【都知事が書いた借用書をインターネットで見た。あまりにも稚拙だ。
5000
万円という表記はせずに50,000,000円とするのが常識だし、金と5000万円の間の空間は横線で消すのが国際慣行だ。
慌ててでっち上げた借用書なのだろうがインチキするならもっと上手くやれと云いたい。



【モスクワの赤の広場からルイ・ヴィトンが宣伝媒体の撤去を余儀なくされた。
ベルサイユ宮殿で村上隆氏の個展をするときに歴史を汚すものと非難したのは何処の国だっかな。
Lauburu | 東京で | 13:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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