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イルンにて〜13

*国連世界食糧計画(WFP)は将来の食糧危機に備えて昆虫の食材化を提案している。
大昔に読んだ安部公房氏の《燃え尽きた地図》を思い出す。僕は氏の人間の終末を見据えたような発想に惹かれるのだった。
バーのカウンターで飲んでいた酔客が出てきたゴキブリを楊子で突き刺してポリポリ食べる。終末論的に何となく分かるのだった。
僕が子どもの頃には貴重な蛋白源としてイナゴやザザムシやマゴタロウムシの佃煮が食べられていた。バリバリして美味しくはないがまずくもなかった。
人口爆発と儲け主義の現代で、インチキ食材を問題にする贅沢さを感じる。心配なら昆虫を無菌養殖すれば良いとつくづく思う。
 
*ノルマンジー上陸記念の式典で貴賓席にメルケル首相が座っているのを見て、ドイツの世界を見る目の確かさを思った。
韓中の反日キャンペーンは止まるところがない。何回も云うようだが戦犯の靖国合祀を止めない限り永遠に続くし、彼らの世界への説得力もあるだろう。
もし戦犯の合祀を止めようとする総理大臣が現れたら、最も幸運な場合で《失脚》、最悪は《暗殺(本人あるいは家族の)》だろう。
此処に韓中の《ドイツとは違う。日本の本質は変わっていない》という警戒感がある。
僕は米国の原爆投下の是認者と呼ばれることがある。全く違う。米国の非人道性は疑うところがない。僕の云いたいのは戦犯たちの傲岸さなのだ。
武器も糧食も与えずに硫黄島や沖縄で玉砕させ、本土では玉砕覚悟の一億総竹槍作戦を準備させた戦犯たち。
ノルマンジーで連合国は1万の将兵を失いナチは1千人だけだった。米国を原爆投下に踏み切らせたのはノルマンジーの轍を踏みたくないからで、僕は戦犯たちの利己的な傲岸さも一因だと思っている。
こんな戦犯と国に殉じた国民を、《みんなが国に殉じた》と云って合祀する心性が分からないし、《和をもって貴しとなす》と云った聖徳太子は苦り切っているだろう。
 
Lauburu | スペインで | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜12

*バスクの食通クラブでの会食で、僕はあるスペイン夫人が連れてきた犬を見て驚いた。
何と僕が大好きな柴犬だった。神戸で買ってスペインに連れてきたという。一目見てかなりの血統だと直感した。
検疫などでお金と時間ががかかったろうなと俗物の僕は考える。
子供のとき家ではドリという名の雑種の犬を飼っていたし、その後は兄がコリーを飼っていたので僕は犬に親近感を持っている。
今は独り者の僕にとって柴犬と生活するのは楽しいと思うのだが、イルンと東京の二重生活の制約は犬を飼えないことだ。
長期間家を空けて帰ると、あのしぶといゴキブリが玄関のたたきで仰向けになって死んでいるのだから。
 
*《温暖化がノルウェーのトナカイに恩恵》
僕はCAを中年女性で固めるフィンランド航空の柔らかな雰囲気が好きで良く利用する(ヘルシンキの入国審査の厳密さには腹を立ててはいるのだが)。
退屈な長距離飛行では食事とワインが楽しみで、選択肢のなかにトナカイの肉料理が何時も入っている。
脂身がなく硬くてパサパサしていて決して美味しくはないので一般的ではないのだが、温暖化が進むと北欧三国がトナカイ肉の供給国として躍り出るかも知れない。
 
*《奥の細道、旅立ちの地は…「千住論争」25年》
中学2年のときに国語の副読本で《奥の細道》を読んだとき、僕は《行く春や鳥啼き魚の目は泪》と詠んだ芭蕉さんに感動した。
芭蕉さんが隅田川を何処から見て詠んだなどはどうでも良いことだ。
長じて僕が千住で仕事をしたときに墨田の河畔に立って、それが何処であろうと僕は芭蕉さんは此処から墨田を見ていたのだろうと思っていた。
感覚の世界からもやに包まれた漠然さを取り除いたら、残るのは愚にもつかない《タダモノロン》だけだろう。
 
 
 
 
Lauburu | スペインで | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜11

*長女に借りたロシア語の大家の米原万里氏のエッセイを読む。むかしロシアでは知識階級の貴族社会でフランス語かぶれが多くて、文学書にフランス語の成句が頻繁に引用されたという。
そういえば僕の学生時代に《読書家なら当然知っているはずだ》と云わんばかりに漢籍が引用されていた。スペインで本を読むと《このラテン語の成句は読者家なら知っているはずだ》と云わんばかりに引用される。
例えば《Credo quia absurdum》。当然ラテン語の辞書は持っているが、スペイン語と同じく《動詞の変化規則》を知らないと使いこなせない。あとはスペイン語からの推理しかない。
Credo=yo creo=私は信じる、かしら? absurdum=absurdo=不条理な、かしら?
quia、これが全く分からない。四苦八苦してやっとporque=だから、ではないかなと推理する。《不条理だから私は信じる》って何だ。
疲れたよ。窓から通りを見ながらジントニックを飲んでいてフッと頭に浮かんだのは、学生時代に読んでチンプンカンプンだった埴谷雄高氏の《不合理ゆえに吾信ず》だった。そうか、そうだったのか。
解体新書を訳した杉田玄白の偉大さを実感した。
 
*《過疎地の商店、中心集落に集約…国がモデル事業》という記事を読む。
スペインを車で走ると町にせよ村にせよ、ひとかたまりの集落があって、そこを通り過ぎると次の集落まで人家は何もない。
何処に行っても人家が点々と存在する日本とは風情が違う。戦乱の歴史を背負った国と平穏だった国の違いかも知れない。
少子化と高齢化が進む日本では、過疎化して点在する人家へのライフラインを整備するのは効率的ではないと切り捨てられたのは必然かも知れない。
スペインにはどんなに小さな集落にもバルがある。《未だ生きているぞ》とデモる老人から乳母車の赤子まで集まる《浮世床》だ。
この点で表記の政策には興味がある。
 
 
 
 
 
 
Lauburu | スペインで | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜10

《ニュースではウベダ地区でのオリーブの収穫が始まったという。
アルバセテからウベダに行くアンダルシア高原の街道を行くと重畳する丘は全てオリーブ畑に覆われている、まるで雲海にように。
車を降りて眺め回すと人家は一軒もない。だがオリーブ畑には雑草はなく熊手の跡が残っている。一体誰がこの広大な畑を管理して居るのか、収穫は誰がするのか。
僕は思ったのだった:《つまらない心配をするな、君は美味しいオリーブ油と実の漬け物を食べれば良いのだ》。
オリーブの実はエメラルドグリーン、オリーブグリーン、赤色、黒色と熟して行くが、それぞれの味を賞味するのが楽しいようだ。

パラドールジャンキーの僕は50以上のパラドールに泊まったが、街の雰囲気と相俟ってウベダが最高だと思っている、行きにくいのが難点だが。
 
《あの超人的な読書家の故米原万里氏の名言:《味覚こそナショナリズムの権化である》を実感する昨今だ。
有史以来、ギリシャ人が旅行記で陽光燦々のイベリア半島の地の恵みを讃えている。確かに素晴らしい。香辛料で誤魔化す必要がない鮮度の高いものが何時でも獲れるから。だから僕もスペイン料理が好きだ。
だがしかし、スペイン料理はニンジンやタマネギをpocharすることに基盤があるようだ。日本の辞書には載っていないpocharは、かなり大目のオリーブ油で野菜を炒め煮するということのようだ。確かに滋味深くスペインの人はこれで育ってきているが、加齢とともにナショナリズムに回帰する僕は時に重いなと思うことがある。
とは云ってもトンカツ、オムレツ、牡蠣フライの洋食が好きなのは変わりないが。
 
 
Lauburu | スペインで | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜9

《先日、洋食好きな僕は長女一家とバスク風洋食を食べに行く。初めての味だった。日本流に云えば《フォアグラ丼》、絶対に日本では食べられない絶品。
そうだ《牛追い》が始まるのだ。帰りの車の中でとりとめのないことを思い出す。レストランのことだ。
マドリードにいたとき知人が良く訪ねて来てくれた。そのとき案内の定番は乳のみ豚の丸焼きが売りのヘミングウエイ御用達の《ボティン》。
食べると乳臭さが鼻について、パリパリする皮が美味しいのだが北京ダックではあるまいし、この食べ方はよろしくない。
わんわん人が集まるボティンの二軒隣に閑散としたレストランがあった。
ウエイターが店の前で腕を組んで立っていて、その頭上のキャノピーには《Hemingway never ate hire
》と書いてあった。スペイン語で《Hemingway nunca comió aquí
としないのがボティンが外国人のお上りさん御用達というのがよく分かる。
ここでイカの墨煮ご飯添えを食べたが美味しかったが、今はもう営業をしていない。
ヘミングウエイが有名にした《牛追いは》今日で終わったが盛況であり続けるのだろう。ボティンもまた。

 
《高校野球で選手の健康管理のためにタイブレークを検討:これは間違った前提を直さずに弥縫策をとる典型だ。
高野連、朝日、毎日、NHKが寄って集って甲子園をメッカにでっち上げてしまった。球児は如何なる困難も切り抜ける苦行僧を強いられる。
《汗と涙の甲子園賛歌》を高らかに歌い上げる朝日は第二文部省気取りの高野連の大政翼賛会に過ぎない。みっともないことだと思わないのだろうか。
利権にがんじがらめの甲子園では不可能だとは分かっている。だが本当に球児の健康を憂慮するなら春は沖縄で、夏は北海道で複数の球場を使って休養日をたっぷりとれば良い。高校ラグビーはこの点で遥かに進んでいる。
 
《スペインの新国王がモロッコを訪問して親善を深めた。
モロッコはスペインの保護領だった時代に独立を求めて、両国とも死屍累々の悲惨な戦いをした歴史がある。そして未だにモロッコの領内にセウタとメリージというスペイン領の飛び地がある。モロッコは面白くはないだろうが、地中海を挟む両国は漁業を始め協力せざるを得ない状況にある。
モロッコは《人の脚を引っ張っても自分の背が伸びるわけではない》と冷静な判断をしているのだろう。
Lauburu | スペインで | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜8

《台風で揺れる飛行機イヤ、グリエル沖縄遠征拒否》で思い出した。
以前、米国でユナイテッド航空に乗ったとき、通路の反対側に先住民の青年が座っていた。顔面蒼白(らしい)で震えていた。
離陸のときにクルーは席に着くようにとの機長の指示があったが、CAの女性は通路に腰を下ろして青年の腕を握って《大丈夫、大丈夫》と励ましていた。2時間のフライトの間、CA
は交代で彼に寄り添って腕を握っていた。
プロとはこういうことだとしみじみ思ったのだった。
 

《日本のテレビ局はW杯の視聴率に落胆したという。日本人が仕事を休んで早朝のサッカーを見ると思っていたのだろうか。
スペインにはゴミテレビ(telebasura)という言葉があって80パーセント以上がゴミに該当するので日本のテレビ局も真っ青だ。
日本はゴミテレビ満載のテレビ局に拒絶反応を示す時期に来ていると思うのだが。
 
《イタリアのコメ輸出が急増、小規模農家が作る高級米が人気》だという:
僕がスペインで普段買う米は1キロ150円、東京で買う米は1キロ500円だが、僕はこの350円の差は当然だと思っている。日本米には手塩にかけた付加価値がある。
スペインでもイタリアでも付加価値のある米の売り上げが伸びている…スペインではジャポニカ米の《みのり》で1キロ500円だ。僕はわざわざ30分電車に乗ってサン・セバスティアンに買いに行く。
大切なのは日本の農業従事者が緑なす国土を守っていてくれることを認識することで、僕は日本とスペインの米の価格差350円は国土保全のための基金と思っている。
TPPで日本の米作農家が壊滅するなら、それは日本人の教養の問題だろう。自衛権云々以前の国土保護の基本だと思う。
 
《ブラジルの大敗。
スペインの評論では南米のチームでは時に《lagunas mentales
》に陥ることがあるという。lagunas mentales
とは何だろう:頭脳活動の停止あるいは空白。日本流に云えば《頭が真っ白》ということか。
そういえばMLBで活躍する南米の選手が、僕には考えられないようなプレーをすることがある。
 
 
 
Lauburu | スペインで | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜7

《サン・マルシアル祭が終わった。残ったのは僕は何も分かっていないのだと云う事だけだった:
・昔のスタイルの軍事行進は何に由来するのか
・何故イルン市民がこれほどまで熱狂するのか
・男性主体の行進の先導を何故《軍隊の酒保の女性:cantinera》がするのか
僕はスペインの歴史を勉強してきたが、各論では未知のことが沢山ある。もっと学ばねばいけない。
 
老後に日本を脱出しても大丈夫か》という記事を見つけた。
これほど安易に考えてはいけないことはないと思う。
僕は10年以上スペインに住み小さいながらマンションを持ち、読み書き話すもかなり出来る。そしてスペインには長女が、イギリスには次女と三女が暮らしているからバックアップ体制は万全だ。そして生活費は東京の約半分。
一見何の不便もないように思えるかも知れない。だがしかし老いが迫ってきて弱ったときに外国で世話になるのは如何なものか。金を払えば良いという話でもあるまい。どこの国でも高齢者には苦労している。若者の力の無駄遣いだ。
病気もせずに今でも支払っている高額な健康保険料、惚けなきゃ損だと思うほどの介護保険料を考えると僕は日本国に大きな貸しがある。たとえ自衛権一つを取り上げても四分五裂の頼りない国でも。
昔はスペインに永住することも考えたが、それは身勝手だと考えている昨今だ。
 
 
 
Lauburu | スペインで | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜6

イルン最大の祭りサン・マルシアルが6月30日に無事終わった。早暁に及ぶ大騒ぎでの一週間の寝不足が吹き飛ぶほど見事な祭りだった。
この小さな街の何処にこんなに多くの人がいたのだろう。
1年間楽しみにして待っていた祭りだ。老人から赤ん坊まで、白装束に赤いバスクベレー(boina
)で全員参加だ。

30くらいだろうか地区別に分隊を組んで行進する。分隊の先導はcantineraと称する女性で鼓笛隊や鉄砲隊が続く。
朝の5時30分に始まって正午まで、延々と分列行進が続く。
僕は外に出ても赤いベレーを被っていないので肩身が狭かった。


東京でも年に1度、明治神宮の絵画館前で早暁に警視庁機動隊の観閲式があるが迫力では市民全員参加のサン・マルシアルに軍配があがる。


もし東京の街中を鉄砲隊が分裂行進したら例の奇怪な人たちが《人殺しは止めろ》と金切り声をあげるだろうな。
でも全員が赤いベレーを被っていれば大丈夫かな。


Lauburu | スペインで | 16:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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