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イルンにて〜21

*久しぶりの雨のイルン。秋の到来か。東京に比べれば贅沢な話だが、強烈な夏がないのは少し寂しい…ような気がする。
外に出るのも億劫なので家の掃除をしてから理髪へ。
スペインでは理容店も美容院もpeluqueríaなので男性向けか女性向けか両方なのかを確かめるのが先決。洗髪は何処でも後ろ向きなので(日本の美容院のバックシャンプーと同じ)第四頸椎に靱帯骨化がある僕には厳しい姿勢だ。洗髪をしないと毛屑が襟元から入って気分が良くない。そこで頸椎に負担がかからない椅子の角度の店をさがすのだった…これが結構難しい。
理髪一つをとってみてもこのありさま。外国に住むと耄碌のしようがない。
 
*スペインのテレビが日本と同じくらいお粗末なので,僕は24時間世界のニュースを見ている。その中の統計で2012年の一人あたりのドルベースでのGDP(スペインではPIB)の数字が出ていたので日本と比較してみた。
 ・スペイン29,000ドル 28位 人口4,200万
・ドイツ: 45,000ドル 12位 人口 8,300万
・フランス:43,000ドル 20位 人口6,400万
・イギリス:40,000ドル 23位 人口6,300万
・オランダ:47,600ドル 13位 人口1,600万
(日本:  38,000ドル 24位 人口13,000万)
 日本は2000年度には一人当たりのGDPは37,000ドルで3位だった。それが凋落して今は24位。10年でこんなにも地盤沈下してしまった。
西欧諸国は日本よりも人口は少ないが,一人あたりのGDPは日本よりも上位だ。
この数字を見ると少子化は嘆くべきことなのか。確かに過渡的には老人社会になるだろうが老人は必ず近いうちに死ぬ。
いま必要な政策は《老いぼれが死んだ》あとで、どのような社会を作るのかの青図を作ることだろう。

*実家が経済的余裕があったので新聞は:読売、朝日、日経、報知をとっていたので自然に新聞の読み方が身についていた。
社会に出て先輩が:《やっぱり朝日だ》というのを耳にして僕は吹き出した。理由を詰問されて説明したら:《金持ちのドラ息子には朝日は似合わねぇ〜からな》、《?》。
振り返ると僕の青年期は《第二次廃仏毀釈》の時代だった。日本の日本人の全てを否定することがインテリの証だった。ビールに至るまでも。
・20歳  浅沼の北京での《米帝は日中共同の敵》発言
・32歳  本多勝一の《中国の旅》
・44歳  吉田清治の《朝鮮強制連行》
このインテリ願望に悪のりした新聞があったが、今更引っ込みもつかず屁理屈を並べ立てている。
それならそれでも良い。どのような将来像を頭に描いているのだろう。
保守政権憎しと保身で盲目となって、将来を担う世代の夢を奪うことは念頭にないらしい。
そういえばこの新聞が出版した本に:《貧困なる精神》というものがあった。
僕は右傾化を憂慮している。そして怒りすら感じるのは《右傾化を後押しする軽率》な進歩的(と称する)言動だ。日本国民は《君たちの独善的プロパガンダ》に左右されることはない。むしろ反発するだけだ。それを分かって欲しい。
 

 
Lauburu | スペインで | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜20

*歳とともに人間は繰り言が多くなるのは確かだし恐ろしい。旧態依然とした繰り返しを表すマンネリズムとは正確にはどういう意味なのか。
そこでスペインの歴史書を読み直す。manierismo(マンネリズム)の語源があった:
《ポルトガルのマヌエル1は、16世紀にインド航路の開設などでポルトガル王国を海外交易によって豊かにした。マヌエルは宮廷に多くの芸術家を招いて装飾が過剰なほどに施されたポルトガル独自の建築様式を作り上げ、後に『マヌエル様式(manierisimo)』と呼ばれるようになった。
その後、絢爛たるマヌエル様式に起源を持つミケランジェロに代表される最盛期のルネサンスの芸術は頂点を極めたが、今や完成されたと考えられたミケランジェロ芸術の模倣者たちの作品は、型にはまった生気の欠けた作品という評価が支配的になり、マンネリズムは蔑称となった。しかし20世紀になってマンネリズムもそれ自体が独立した表現形態であり、その表現には見るべきものがあるとして再評価されるようになった》
冗語の繰り返しはマンネリズムではあっても、言葉や行為の繰り返しの中でも確固たる信念が軸にあればマンネリズムとは云えないだろうと理解する。
 
*僕ははっきりとものを云うダルビッシュの意見は良く分かる。
《混血のお前に高校野球の精神が分かるのか》というインターネットでの暴言は悲しいというよりも笑ってしまった。
これは単なる愚かな個人の発言ではなく《広く日本人に根付いた心性》だから。西欧人には卑屈でアジアや中東やアフリカや南米の人々には傲慢な卑しい性根だ。
僕はイルンで6人の孫たちと過ごした。彼らの共通言語は日本語で、英語とスペイン語も乱れ飛ぶ楽しいときを過ごした。孫たちは将来、自己同定に悩むこともあるだろう。その時点で日本はバイカルチャーの人間を評価出来るのだろうか。きわめて疑問だ。
世界でも日本でも自分たちだけの部分最適しか発想できないのが寂しい。
Lauburu | スペインで | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜19

*驚くほどの論理性に諧謔をちりばめる米原万里氏のエッセイ:《不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か》を読む。言語を動的に《流れで》捉えるという発想は素晴らしい。
大江健三郎が氏のエッセイを《最悪の表題》と云っていたそうだが納得。大江の硬直化した発想とは次元が違うから。
僕は米国でもスペインでも言葉を聞き取るのにくたびれる。何故日本語を聞くのは疲れないのか。
ある推理を無意識にしながら言葉を聞いているのではないか:《こう云ったから次はこう続くだろうと》。
日本人同士でも《あいつと話すと疲れる》という言葉をよく耳にする。これは発想の違いで《次の言葉が推理できない》ためだろう。
 
*誤報記事で朝日が批判を浴びている。
学生時代に僕は春休みには国会図書館に通って戦時中の新聞を読みまくった。いま民主主義を吹聴する新聞が戦時中に何を吹聴したのかを知りたかったからだ。   よくぞ舌の根が乾かないうちに、こうまで変節できるものだと感心したものだ。知識人を標榜する人間のいかがわしさを思い知ったのだった。
僕は新聞や他のメディアの本質を理解するためには過去の言動を知る必要があると確信している。過去の情報を知るために国会図書館があるのだから。
些末なことだが、読者の良識ある意見を載せているという新聞の《声》欄を読んだときのことだ。《声》は熱弁を振るう:
《南米産のテラピアを日本で養殖してイズミダイとして販売しているが、このような獰猛な肉食魚を養殖するとは何事だ》と。投稿者はテラピアとピラニアを間違えていた。新聞はノーマークで載せてしまったのだった。
所詮、何事につけ新聞とはこのようなものさ、と思ったのだった。その思いは今も変わっていない。購読者はもっと賢くならなければいけないと自戒する。
 
 
Lauburu | スペインで | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜18

*今年の全米プロを最後に名ゴルファーのトム・ワトソンが引退するという。64歳。何度も来日したがスマートな紳士で僕は大好きだった。
むかしの話だが、週末にサンフランシスコでレンタカーして南に2時間、カーメルとモンタレーを訪れたとき僕は川奈をドライブしている錯覚におちいった。海に張り出す松並木。
僕は芸術家の卵が集まるカーメルに行ってみたかったからだった。
こじんまりとした家の前に絵が並んでいる。《僕はお金がないので買えませんが見せて下さい》。《どうぞどうぞ》。残念ながら僕の感性に合う作品はなかったが。
しばらくドライブすると突然《ペブルビーチゴルフクラブ》が現れた。あの名門はここにあったのかと驚く。看板を見るとセミパブリックのようだ。中に入ってレストランに入れるかと訊くと:《どーぞ》。クラブハウスサンドウイッチを食べて:《このリンクスは歩いて見て回れるのか》と訊くと:《プレイヤーの邪魔をしなければOK》とのこと。
パー3の17番ホール。優勝間違いなしのトム・ワトソンが大崩れして敗れたホールだ。僕でもボギーで上がれそうなホールでトム・ワトソンに何が起こったのか。
そして海に沿って左ドッグレックの名物の18番ホール。ダッファーが左に引っかけるとボールは海へ。岩の上で日光浴しているアザラシが追いかける。右に押し出すとホールの脇の家の庭にボールが飛び込む。
この牧歌的な風景は未だに残っているのだろうか。
 
*僕はイルンでサン・ミゲルのビールを愛飲している。
以前、本多勝一というジャーナリストが《日本のビールは甘ったるくて嫌いだ、私はもっぱらサン・ミゲルを飲んでいる》と書いたことがあった。僕は早速飲んでみたが当時フィリピンで醸造され日本に輸入されたサン・ミゲルは鉄製の缶で金臭さが残って話にならなかった。本多氏は味覚音痴なのか食が貧しかったのかと思ったのだった。
僕は本多氏の《中国の旅》を読んだとき直感した。この人はあるストーリーを描いていて、それに沿った資料を集めたのではないか。中国での短い期間でのレポートにしてはできすぎている。
僕の自然科学を学ぶ者として最大の欠陥。あらかじめストーリーを描いてしまう悪癖があった。だから本多氏の《中国の旅》に疑問を持ったのだった。
STAPの小保方氏もそのような陥穽に嵌まったのではなかったか。
 
Lauburu | スペインで | 05:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜17

*フランクフルト空港で小さな日本の女の子が図解の英語の本を持っていた。
著者はアンソニー・ザレツキー。あまりの懐かしさでお母さんに訊いてみた:《これはお嬢さんの祖父母が子どもの頃の本ですよね》。お母さんはびっくりして:《この本をご存じなのですか、私の母が使っていた本なのです》。二人は東京行きのANAの乗り継ぎ時間がないのでそそくさと立ち去った。
ザレツキーさんは泉岳寺に住んでいたハンガリー系米国人で、小柄で肌の色から判断するとフン族の血が入っているようだった。中学生の僕を驚かせたのは日本語の達筆さで僕は足下にも及ばなかった。そしてサラサラと書くのは全てがハンコ文字(全てが裏返し)。日本語を学ぶときに近所の達筆なご隠居さんが半紙に文字を書いてくれたので裏返しにしてなぞったそうだ。
『君がザレツキーって云いにくかったら《ザルすくい》と云いなさい。安来節だ》。《?》。《坊やの歳では知らないだろうな》
 
空港で故森嶋通夫氏の随筆を読んでいた。
紹介するまでもなく、氏は経済学で圧倒的な実績を持つ米国の大学に比肩する
London School of Economicsの名誉教授で何度もノーベル経済学賞候補になった人だ。
とくに興味があったのは二人の孫が学ぶpublic schoolに関しての項だった。私立校なのに何故public schoolと云うのかが分からなかったからだった。氏は語る:
《昔のイギリスでは圧倒的多数の国民は教会で牧師から教育を受け、一握りの特権階級だけが家庭教師を雇って子どもの教育を行っていた。
世界で最初の産業革命が起きたイギリスでは中産階級が続々と生まれた。中産階級は抹香臭い教会の教育から子どもたちを抜け出させようとするが、まだ個人で家庭教師を雇うほどの資力はない。では皆で家庭教師を共有しようではないか:publicizeしようではないか。氏はこれがPublic schoolの原点だと述べている。
僕は《publicize》という言葉が《共有する》という意味があったとは知らなかった。辞書のどこにも載っていないし。何となく分かったような気もしたが。
 
 
*世界遺産の富士山で落書きが多いという。当然だろう。経済効果は環境保全に優先するのは世の常だから。つくづく英国のナショナルトラストの素晴らしさを痛感する。英国に世界遺産のような大仰なものはあるのかな。
15年前だったか世界遺産のセゴビアの水道橋を訪ねたときだった。水道橋の左手の旧市街とアルカサルに行く石段を登って行くと、途中の石垣にクッキリと三菱のスリーダイアモンドが刻まれていた。縦横15センチくらいでご丁寧にも赤く着色してある。誰が書いたのか。少なくともロゴのバランスの良さから見ると子どもの頃から馴染んだ人だろう。
その後に友人たちが訪ねてくるとセゴビアに同道したが、少なくとも10年前まで落書きは健在だった。
 
*僕がジョギングするビダソア川の中洲の近くで白鳥が優雅に浮いている。この優雅に見える白鳥も初夏には戦闘的になって危険だという。神宮外苑のカラスも初夏には危険だ。子育ての季節だから。
感覚的に白鳥とカラスを同列にイメージしたくないのだが、羽を広げて威嚇する白鳥のスナップ写真を見ると納得せざるを得ない。
 
Lauburu | スペインで | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜16

*TVEのニュース:
リベリアでエボラに感染したスペイン人聖職者が、空軍機でマドリード郊外に移送され市中の病院に搬送される映像だった。救急車の前後左右はオートバイの警官が固めていた。空気伝染はしないそうだが深刻な伝染病だと分かる。
スペインは地理的に北や西アフリカからの大量の難民に悩まされていて、エボラの流行は他人事ではない。日本と違って水際作戦も極めて難しいのが現状だ。
エイズウイルスやエボラウイルスは、増えすぎた人間が人跡未踏の地に踏み込んで持ちだしてきたものだ。人間の増殖を抑えようとする天の摂理かもしれない。対処療法は勿論重要だが、本質的な問題を解決しなければ同じ問題が繰り返されるのだろう。
 
*本年度のナダル文学賞作品:カルメン・アモラーガの《人生斯くの如し》を読み始める。癌で夫を失った女性の心の振幅を描くのだが、とても揺れが激しくて僕にはついてゆけない。
夕方になって空がかき曇り雷が鳴り出した。ジントニックを飲みながらぼんやりと窓の外を眺めていると、何故かむかしマドリードで読み直したGeorge Owell《La Granja de los Animales:動物農場》を思い出した。
論理が破綻したにもかかわらず、豚どもが破廉恥にも尤もらしい屁理屈を並べ立てるのが可笑しかった。
 
Lauburu | スペインで | 01:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜15

8月15日、僕が5歳のときだった。疎開先の山奥の藁葺きの家で、多くの人が集まって正座してラジオを聞いて涙を流していた。僕は意味が分からず無邪気に外で遊んでいた。突然、家の中から大人が出てきて《やかましい》と云われて突き飛ばされて小さな池に転げ落ちた。 僕が覚えているのは目の前に鯉がいたことと、池の中から見た空が真っ青だったことだ。暑い日だったと記憶している。

僕が疎開していたのは栃木県鹿沼市から遠く離れた辺境の地《馬返し、加蘇村》という所だった。ここは祖父と父の代で鉱山業を営んでいたところで、もしかしたらインターネットで何か検索できるかと探して驚いた。何と1966年に閉山した今井鉱業加蘇鉱山をレポートした記事を見つけた。若い頃の記憶が蘇ってきた。素晴らしいレポートだが一カ所だけ違っていた。加蘇鉱山は炭酸マンガンを採掘していて二酸化マンガンではなかった。
http://kyuragi2011.blog.fc2.com/blog-entry-138.html
 
*学生時代、夏休みに加蘇鉱山で40日間肉体労働をするのが常だった。
東京で暮らす安穏な生活に不安を感じたからだった。心身ともに締め直さないといけない。
素人の坑内作業は危険なので、選鉱場で出たズリ(ただの石ころ)をトロッコに積んで500メートル離れたズリ捨て場に運んで捨てる仕事だった。行きは僅かな下り勾配だが帰りの空のトロッコを押す方が辛かった。一日に20往復くらいしたのだったか。
夕食は地元の女性が用意する一汁一菜とお代わり自由なご飯。そして泥のように熟睡。30日もすると腹の贅肉が落ちてくるが鉱夫たちは笑う:《ヘソが引っ込んでいるようではね》
日曜日にはアブラゼミの鳴き声のなかで読書三昧。何故かフォークナーとコードウエルに共感する。
ヒグラシのカナカナがアブラゼミのジージーにとって代わると学校に戻る時期だ。
ご苦労さんと渡されるのは500円だった。昭和30年代でもただ同然の金額だったがトウシロが飯を食わせて貰っているのだから当然だと思っていた。有り難いことだった。
東武日光線の新鹿沼駅から浅草駅に向かう車中で、満足感と同時に、もっと何か考えるべきことが残ってはいないかと想いを巡らすのだった。
 
*中学生のときだった。高輪泉岳寺に住む日本語が自由自在の宣教師で初老の米国夫人に偶然出会った。
《あなたはキリスト教に興味はありませんか》。《全くありません》。《しかしキリスト教は生きて行くのに必要な意味のある言葉が沢山あります》。《…》。《私はあなたにキリスト教徒になって欲しいとは云いません。ただ聖書の言葉があなたの人生に役立つと思うのです》。《でも僕は絶対にキリスト教徒にはなりませんよ》。《結構です、立ち去るのは自由ですから高輪教会にお越し下さい》
数回の説教を聞いて、僕は一つだけ印象に残った言葉があった:
《思い上がりは自らを滅ぼします》
自民党と朝日新聞の将来はないということかな。
 
Lauburu | スペインで | 15:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

イルンにて〜14

*僕はイルンに来ると毎日2時間以上スペイン語の翻訳をする。これはボケ防止には最適だと確信しながら。
そこで気がつくのは、人間には書かれたものや発言されたものを理解する《受動的能力と》、それを自分の言葉で外に向かって発表や発言をする《能動的能力》があるようだ。
僕のスペイン語を読み解く《受動的能力》が不足しているのはやむを得ないにしても、日本語で表現し直す《能動的能力》の不足は本当に情けない。16年間も教育を受けてきたのに。僕は1945年に小学校に入学しているので戦後教育の第一期生だ。つくづく日本の戦後教育は間違っていると痛感する昨今だ。
 
*8月6日が近づいた。僕は原爆記念碑の文言:《安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから》に当惑したことがある。これを外国語では何と表現するのか。
探していたら英語で:《LET ALL THE SOULS HERE REST IN PEACE、FOR WE SHALL NO REPEEAT THE EVIL》とあった。
少なくとも主語の《WE》が出て来たのだが、では《WE》とは誰を指すのだろうか。日本なのか、米国なのか、人類なのか。だいたい原文が日本語の体を成していない。
ダンテの《神曲》の翻訳者、寿岳文章氏が《英語に造詣が深いと自任しているが、ウイリアム・ブレークの詩の見当違いの論評をした人の碑文と聞いて複雑な気分になった》と書いていた。
 
*イルンの孫2人が2週間開催されるザルツブルグのバイオリン・ワークショップに参加しているので、僕も5泊の予定でザルツブルグに行った。
長女と孫たちと一緒に美味しいものを食べたかったからだ。
イルンに帰ってデジカメの映像をPCに取り込んだら、何とモーツアルトの銅像の写真も、生まれ育った家の写真も撮っていなかった。乗って走り廻った写真はあるのに。
遥かむかし、僕が尊敬するS氏という先輩がいた。モーツアルトの心酔者で《魔笛》の《Pamina》に恋をしていた。いや、《恋患い》と云う方が良いだろう。
素晴らしい勉強家で会社勤めをしながら公認会計士の資格をとって独立して、事務所を構えてその隣に奥さんと共同経営する喫茶店を開いて《Pamina》と名付けたのだった。
美味しいものがあれば食べたくなり、酒があれば飲みたくなり、自転車あれば乗りたくなる。何と情緒のないことか。これは《なに患い》というのだろう。

 
*呑兵衛の僕は何処の国に行ってもひたすら飲む。だがザルツブルグで初めての経験をした。ワイングラスにもオンザロックグラスにもスケールが付いている。商取引を正確にするためだろう。お国柄なのだろうとつくづく思う。
スペインでの暑く乾燥した昼下がりには僕にはジントニックが定番だ。グラスにゴボボゴボゴとジンを注ぐのだが僕は何時も得した気分になる。
僕にはアバウトの方が馴染むようだ。

 
Lauburu | スペインで | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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