2017.04.17 Monday
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闘牛にもフラメンコにも関心がない人間が、1975年に食べたタパスの味が忘れられなくて、2002年にスペインに来てマドリードからバスクの街イルンへと…
その生活で頭に浮かんだことの用途のない備忘録
2014.10.28 Tuesday
2014.10.26 Sunday
2014.10.25 Saturday
2014.10.22 Wednesday
2014.10.16 Thursday
《戦争賛美とか特攻隊賛美》とかいう批判があるのですが読んでくださいと、《永遠のゼロ》というベストセラーを後輩が僕に貸してくれた。今まで聞いたことのない著者だった。
僕は読んでみたら賛美とは全く正反対の感想だった。
戦後に連合軍が日本軍を総括した:《日本の兵士は世界最強、将官は世界最低》。
前日に飲んだくれて宣戦布告書を米国に出し遅れ、世界に日本の汚名を撒き散らした駐米日本大使館の幹部たちのことを著者は触れてはいるが、その後に彼らは 栄転していることは触れていない。著者は武官だけでなくなぜ文官の無責任さも追求しなかったのだろう。昔も今も変わらぬ口先エリート万能の日本の社会機構 全般の宿痾を。
日本軍幹部の無能さは若い頃から調べて知っていることなので、この小説は《二番煎じ(twice told tales)》の感を免れないが、それだけに《殺した側の軍幹部》と《殺された側の兵士》を靖国に合祀する無定見さに怒りがこみ上げてくる。
また《二番煎じ》なだけに著者は引用文献・資料を詳細に列挙すべきだった。
論拠はないが部分的には僕は何らかの形での盗用ではないかと思っている。
僕は特攻隊について国の施策としての特攻攻撃は言語道断だと思っている。しかし生まれた時から、現人神・天皇の赤子として皇国に命を捧げる教育を受けた若者が自ら命を投げ打った心情には共感する。自分もそうしただろうと思うから。
しかし自らを戒めるのは感傷主義(センチメンタリズム)は排除すべきだと。
特攻自爆攻撃は人間のあるべきすがたなのか。いや違う。
いま世界に頻発する自爆攻撃も感傷主義で解釈すれば全てが正当化できるし、ある種の殺人も正当化できるだろう。
理性的に判断するのは心情的に辛い、しかし感傷に流されてはいけない。
靖国参拝をする閣僚を考える:理性的判断の辛さから逃避しているか、あるいは票集めの打算ならまだ救いがある。もし自分たちだけの小さな世界の中の感傷主義であるなら救いがない。再び日本は世界から孤立するだけだろう。
この著者の過激な言動から本書を嫌う人が多いらしい。本の読み方が違うのではないか。ではトルストイは淫乱だから読まないとか、ホイットマンはホモだから 読まないとでも云うのだろうか。品行方正な宗教家なら良いのか、それも違う、あのドン・ファンを世に送り出したのはスペインの修道士のティルソ・デ・モ リーナだった。
2014.10.15 Wednesday
2014.10.11 Saturday
2014.10.06 Monday