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恵比寿にて〜2014/10/28

*マドリードに住んでいたときだった。2004年3月11日にマドリード郊外での列車爆破テロで191人が亡くなった。僕はショックを受けたが所詮《西欧キリスト教文明とイスラム文明の衝突》だと思いそれほど深刻に考えなかった。浅はかだった。
なぜ今イスラム国に日本も含めた資本主義国から参加を希望する若者が多いのだろう。
資本主義の矛盾をただそうと出現した共産主義や社会主義思想は惨めに敗退してしまい資本主義の一人勝ちになった。一部の資産家に富は集中し、グローバリゼーションは多国籍企業だけを潤す道具に過ぎなかった。
イスラム国はイスラム文明の主張を越えた《反資本主義のイデオロギー》を持つだけに不遇な若者への説得力がある。
フランス革命もロシア革命も中国共産革命も反革命分子の大量虐殺を伴った。イスラム国による虐殺を悪と決めつけても何の解決にもならない。まして空爆や地上戦での殲滅戦などは不可能だ。
真剣に《修正資本主義》を考えないと日本でも不幸な事件が起きるのではないか。間違いなく。
 
*300人の死者を出した韓国のセウオル号の船長が操船放棄と殺人罪で死刑を求刑された。事故直後に大統領が厳罰で臨むべきと云ったと報じられたとき僕はイヤな感じがした。三権分立の民主主義国の首長が絶対に云ってはいかないことだから。
30人の死者を出したイタリアのコスタ・コンコルディア号の船長も操船放棄で裁判を受けているが最高刑でも12年の禁錮刑だ。
操船放棄=未必の故意の殺人なのだろうか。大統領の顔色をうかがった詭弁としか思えないのだが。
 
 
Lauburu | 東京で | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2014/10/26

*ハロウインが近いせいか恵比寿ガーデンプレースは仮装した人たちがあふれている。女と子どもは我慢できるがボリス・カーロフもどきに顔に隈取りした男たちはグロ過ぎて云う言葉もない。冗談にも鋭いユーモアと諧謔の感覚が必要だと思うのだが。
米国でのことだ。一人旅なので10月30日に小さな飯屋で酒を飲みながら食事をしていると、仮装をした子どもを連れた母親が次々と入ってくる。店主はその都度《おひねり》を渡すのだが親子が出て行くと《チッ》と舌打ちしていた。
カトリック国のスペインでは11月1日が《万聖節:todos los santos》の祝日で、その前夜のハロウインには無関心のようだ。《万聖節》って何だ。スペインの暦を見ると365日のどれも聖人の名前がつけられている。しかし聖人の数が多すぎて365では足りなくなった。暦の日数を増やすわけにはゆかない。それならまとめて一本、全ての聖人の日を制定してしまえと思ったのではないか(信仰心なき人間の暴論ですが)。
 
*京大の野球選手がプロ野球に指名されたというので大騒ぎ。いかに日本の野球界が低脳揃いかということか。文武両道などと云っている日本は時代遅れだ。
いま活躍するMLBの選手を見てみよう。
レッドソックスの投手ブレスロウと捕手ラバンウエイはイエール大学の出身。
アスレチックスの遊撃手ラウリーはスタンフォード大学の出身。
マリナーズの投手ヤングはプリンストン大学の出身。
イエールもスタンフォードもプリンストン大学も世界的評価では東大や京大を問題にしていない。
かの鉄人ルー・ゲーリックは家庭の事情でコロンビア大学を中退してヤンキーズに入団したのだった。
 
 
Lauburu | 東京で | 16:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2014/10/25

*ワールドシリーズのカンザスシティーとサンフランシスコの試合は一方的になった。スリルもないので思い浮かんだことがあった。若い頃に観た映画《カンサス騎兵隊》。南北戦争以前の過激な奴隷解放運動家で絞首刑に処せられたジョン・ブラウンの一生だった。
映画を観て僕は考え込んだ:《考えが正しくても時勢と方法を考えなければダメなんだ》。しかし彼の死は奴隷解放の南北戦争への道を開く一助になったのだった。
 
*論拠は不明だが真夏のオリンピックの対策としてサマータイムの話が出ているようだ。子どもの時にGHQの指導でサマータイムが採用されたことがあった。
ある声:《もう9時です、子どもは寝なさい》。もう一つの声:《いや本当は未だ8時だよ》。いつも《夏時間》と《本当時間》が共存していては効果などは期待できるはずもない。
東京に居るときに僕は夜明けとともに自転車に乗る。東京の日の出は最も早い6月末で4時30分、最も遅い12月末で6時50分だ。
僕は生活実感として冬に1時間遅らせる《冬時間》を採用する方が合理的だと思っている。遠距離通勤者は星が瞬く早暁に家を出る必要もなくなるし。
 
Lauburu | 東京で | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2014/10/22

*《高市早苗総務相と山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相が
18日に秋季例大祭が行われている靖国神社をそれぞれ参拝した》
もう何も云うことはない。あきらめた。もう今後は何も云うまい。最後っ屁だ。
6割も餓死させられた200万の兵士を悼む心は当然だ。しかしその責任を負うべき戦争指導者を合祀することが問題なのだと何故分からないのか。僕は米国で読んでくれと云われて写真を見せられた。塹壕の壁に《お母さん》と書かれていた。
戦争指導者は偉大なる殺人者なのだ。
中国や韓国の批判以前に我々の理性が問われている。
 
*《北京マラソン。スモッグが空を覆う最悪のコンディションの下「ガスマスク」着用のパフォーマンスを見せるランナーもいた》
1962
年僕は江東区豊洲の工場に配属になった。新品の自転車が半年でボロボロになるしまつ、同僚と《人間は丈夫だよな》と半ばやけくそ。晴海喘息が社会問題になったのだった。僕は中国を笑う気にはなれない。

 
*相次ぐ閣僚の辞任:僕は我々の《お貰い根性》に根ざしていると思っている。何を恵んでくれることを有り難がる国民性。サラリーマンが出世する要諦は《上司に逆らうな》と何度云われたことか。
 
Lauburu | 東京で | 12:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2014/10/16

《戦争賛美とか特攻隊賛美》とかいう批判があるのですが読んでくださいと、《永遠のゼロ》というベストセラーを後輩が僕に貸してくれた。今まで聞いたことのない著者だった。
僕は読んでみたら賛美とは全く正反対の感想だった。
戦後に連合軍が日本軍を総括した:《日本の兵士は世界最強、将官は世界最低》。
前日に飲んだくれて宣戦布告書を米国に出し遅れ、世界に日本の汚名を撒き散らした駐米日本大使館の幹部たちのことを著者は触れてはいるが、その後に彼らは 栄転していることは触れていない。著者は武官だけでなくなぜ文官の無責任さも追求しなかったのだろう。昔も今も変わらぬ口先エリート万能の日本の社会機構 全般の宿痾を。
日本軍幹部の無能さは若い頃から調べて知っていることなので、この小説は《二番煎じ(twice told tales)》の感を免れないが、それだけに《殺した側の軍幹部》と《殺された側の兵士》を靖国に合祀する無定見さに怒りがこみ上げてくる。
また《二番煎じ》なだけに著者は引用文献・資料を詳細に列挙すべきだった。
論拠はないが部分的には僕は何らかの形での盗用ではないかと思っている。

僕は特攻隊について国の施策としての特攻攻撃は言語道断だと思っている。しかし生まれた時から、現人神・天皇の赤子として皇国に命を捧げる教育を受けた若者が自ら命を投げ打った心情には共感する。自分もそうしただろうと思うから。
しかし自らを戒めるのは感傷主義(センチメンタリズム)は排除すべきだと。
特攻自爆攻撃は人間のあるべきすがたなのか。いや違う。
いま世界に頻発する自爆攻撃も感傷主義で解釈すれば全てが正当化できるし、ある種の殺人も正当化できるだろう。
理性的に判断するのは心情的に辛い、しかし感傷に流されてはいけない。
靖国参拝をする閣僚を考える:理性的判断の辛さから逃避しているか、あるいは票集めの打算ならまだ救いがある。もし自分たちだけの小さな世界の中の感傷主義であるなら救いがない。再び日本は世界から孤立するだけだろう。

この著者の過激な言動から本書を嫌う人が多いらしい。本の読み方が違うのではないか。ではトルストイは淫乱だから読まないとか、ホイットマンはホモだから 読まないとでも云うのだろうか。品行方正な宗教家なら良いのか、それも違う、あのドン・ファンを世に送り出したのはスペインの修道士のティルソ・デ・モ リーナだった。

Lauburu | 東京で | 14:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2014/10/15

*先日、偶然にも日米での野球のプレーオフが放映された。だが両者の間には何か決定的な違いがある。
遙か昔に初めて訪れたシカゴのリグレーフィールドでの感慨を思い出した。その感慨を表現するためには、ドリス・グッドウイン女史の少女時代の思い出が適切だろうと思う。拙訳だが:
『観覧席に向かう薄暗い通路を歩きながら父は私に云うのだった。《さあ、これを過ぎれば夢の世界だ》。その言葉が終わらないうちに夢の世界が突然目の前に 現れた。乾いた赤茶色のインフィールドと、信じられないほど見事に刈り込まれたグリーンの芝生と、空席など一つもない満員のブリーチャー(屋根なし観覧 席)。
しかしなによりも私の記憶に焼き付いているのは、スコアブックを膝に乗せて父と肩を並べてエベッツ・フィールド(いまはなきブルックリン・ドジャーズの球場)に生まれて初めて座ったときに感じたゾクゾクするような感激だった』

 
*時季外れの台風で高台の我が家への深夜の風当たりが強く騒々しい。
このようなときは泡盛のお湯割りを飲みながら勝手な空想をするに限る。アテは仕込んでおいた《僕流の豚の角煮》だ。眠るのは昼にしよう。
沢山の実をつけた柿の木がザワザワと音を立てている。気色の悪い音だ。
ここはワザリング・ハイツならぬザワリング・ハイツなのかもね。少し酔ったかな。
また思い出す。30年以上前に観たミア・ファーロー主演の《ハリケーン》を。
南太平洋で発生する熱帯性低気圧は《サイクロン》なのに米国では売りにならないので《ハリケーン》にしたのだろうと思いながら観ていた。帰りの電車の中でプログラムを読んでいたらビックリ。ミア・ファーローの母親は僕が子供のころ熱狂した《ターザン》の主役ジョニー・ワイズミューラーの相方のジェーンを演じたモーリン・オサリバンだったのだ。
その後に観たミア・ファーローの映画は《カイロの紫のバラ》だった。連れ合いのウッディー・アレンが監督だった。恋多き女性だったようだ。
我が《嵐が丘》で飲む泡盛のお湯割りは格別だ。今夜は角煮の残った煮汁で《ふろふき大根風》を焚こう。どんな日本酒が似合うのだろう。
 
 
*台風通過後に床下換気口の格子が外れていたので元に戻そうと床下を覗き込んだら中に野良猫が居た。ネコにとっても風雨をよけるのには床下が最高だと云うことはよく分かる。
さてどうするか、保健所に連絡すれば殺処分は免れない。それは不憫だ。では餌でおびき出そうとスーパーにキャットフードを買いに行ったが何と種類の多いことか。
隣の客に助言して貰って一缶を買って家で皿に移して驚いた。飢えに苦しむアフリカの子どもたちはこんなに美味しそうなものは食べたことがないだろう。
換気口から距離を置いて皿を置き、庭に椅子を出して本を読みながら待つこと2時間。ネコが出てきたので板で換気口を塞いでから、即席コンクリートを水で練って左手で格子を換気口に固定して、左官道具がないので右手でコンクリート泥をこすりつけて格子を固定した。まるで子供の泥遊びのようだった。
出来映えは不細工そのものだ。
Lauburu | 東京で | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2014/10/11

*9月30日に75歳の後期高齢者になったので、健康保険証の変更をはじめ色々な通知があった。その中で老婆心としか思えない《高齢者の孤独》を思いやる通知が多かった。心遣い有り難う。
僕は若い頃から《群れること》が嫌いだったので孤独の生き方のノウハウが身についている。それだけに理解出来る。企業社会の《群れて馴れ合う人生》に馴れた人には《孤独》は耐えがたいのだろう。
今までに得た知見をもとにして新たな人生を構築する絶好機だが、周りに家族がいれば軋轢を生むこともあるだろう。そのような気遣いは無用の孤独は変革の素晴らしい武器になるだろう。
 
*予想どおり村上氏がノーベル賞を逃した。世界的にあまりにも有名になりすぎたので選考委員も照れくさくて二の足を踏むと思っていた。
文学賞は峠を過ぎた作家に相応しいと有名な英国人の作家が云っていた。今が最盛期の村上氏は5年後10年後には必ず受賞するのだろう。
スペインでは氏の長編は全て翻訳されている。マドリードからイルンへの機内で隣にいた女性が読んでいた《Kafka en la orilla
》を僕が原文で読めるのを羨ましがっていた。

 
*憲法第9条に平和賞が与えられなかったのでガッカリしている人が多いとのこと。僕は日本人の憲法感を何時も滑稽に思っている。
平和憲法を聖書とコーランと並列に置いて未来永劫不変の真理と考えているらしい。《憲法は軽々に変えるものではない》という発言はその最たるものだ。聖書やコーランを見直そうという人はいないと思うが、たかだか70年前に時代の都合で制定された憲法を聖書やコーランと同じくアンタッチャブルと考える心性が不思議だ。
紛争に満ちた世界でのPKOで命を落とす他国の若者も多い。外側から日本の論調を見ていると、平和憲法を隠れ蓑にして自分たちだけが安全なら良いという小狡さを感じるのは僕だけだろうか。
 
 

 
Lauburu | 東京で | 16:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2014/10/06

*社会に出て早々僕は工場で硫化水素で命を落とした人を目の当たりにしてショックを受けたので、御嶽山での自衛隊員は命がけなのだと云うことは直ぐに理解出来た。
3
年前だったかイルンから帰ってパスポートの件で都庁に行ったとき、迷彩服を着た自衛隊員が直下型地震の救助訓練をしていた。驚いたのは十数人の奇怪な人間が隊員を《人殺し〜》とわめいていたことだった。
自衛隊に関する議論と所属する隊員への誹謗は全く別問題だ。親が気に入らないので子供を蹴飛ばすような愚挙だ。
僕は右も左もリベラルも正義は自分たちにあって、自分たちの意に反するものには《冷血》そのものだということはよく知っている。しかし《人殺し〜》というわめき声は今でも耳に残っている。

 
*僕はいまMLBのプレイオフを見ている。
TV,PC,タブレットが総動員だ。生き残った8チームの4つのサバイバルゲームを並列で見るから。
名のある歌舞伎役者が大学の学園祭で演じても感動を与えられるだろうか、大相撲を神社の境内で興行しても感動を与えられるだろうか。相応しい舞台がなければ無理だ。
MLBの球場と日本の球場の決定的な違いがそこにある。
15年以上も前のことだったか。ロンドンの書店で米国の高名な歴史学者でジャーナリストのDoris Goodwin
の著書《Wait till next year
》を購入した。少女の時から好きだったブルックリン・ドジャーズへの思いを綴ったもので僕は名著だなと思ったのだった。
その数年後だったか、東京でベースボールマガジン社から出た翻訳本を購入した。松井みどり氏の名訳だった。
《Wait till next year》を《来年があるさ》。僕はしびれてしまった。
毎年毎年期待を裏切るドジャーズへの悲しいファン心理をたった一行で表した松井みどり氏に脱帽したのだった。
 
 
朝っぱらからMLBを見ている。波に乗るRoyalsの主砲のCainが攻守に大活躍したときだった。観衆の掲げたプラカード《CAIN is ABEL》には噴き出してしまった。Cain is ableをパロったのだろう。
MLB
の楽しみの一つに観衆が作る語呂合わせプラカードがある。

 
Lauburu | スペインで | 13:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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