*中学生のときに聴いたクライド・マッコイのシュガー・ブルーズが耳によみがえった。米国がキューバとの国交回復を模索しているという記事を読んだから。
1956年12月に米国の傀儡のバチスタ政権がカストロとゲバラが率いる僅か82人の革命軍に引っ繰り返された。
自分の意に反する人間はワニの川に放り込んで虐殺したバチスタは僅か82人の革命軍に対抗できなかった。人心が離反していた。そして米国に亡命した。
今回の国交回復機運もカストロに既得権を奪われた米国亡命キューバ人の反対で先行きは不透明だという。
シュガー・ブルーズの子どもの声は砂糖の大生産地でありながら子どもに与えられない母親の嘆きに聞こえたのだった。
*大晦日が近づくと何時も思い出すことがある。入社2年目の25歳のとき僕は
Tガスの主力T工場の夜勤の責任者だった。つまり全社の夜のガス供給のコントロールセンターの長だった。
当時のガスの使用量は大体19時をピークに下がってゆくのが普通だった。だが大晦日には20時になっても下がるどころかぐんぐん上がって行く。ガスタンクは底をつき始めている。供給不良を起こしたらとんでもないことになる。そこで全工場にガス製造設備のフル稼働を指示した。そして製造設備がフル稼働し始めた23時に急激に使用量が下がり始めた。ガスタンクは満杯に近い。設備のシャットダウンを指示したが間に合わなければガスの放散という屈辱的な結果になる。僕は祈るような気持ちで計器盤を見つめていた。24時、かろうじて放散は免れたのだった。
あの頃は大晦日に皆がおせち調理を作ったので異様なガスの使用量になったのだろう。今はどうなのだろうか。
僕は夜勤のガスの供給操作は退屈だったが、その経験以降毎日のガスの供給パタンを見て東京都民の生活を想像するようになった。退屈どころか空想の楽しさを満喫するようになった。
それにしても現在、指揮官を育てるために25歳の若造にこのような大役を任せる度量の大きな企業はあるのだろうか。