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思うこと〜2015/5/25

日本の自動車販売の見通し暗いという。若者の所得が減っているからだという。数字的に本当なのだろうか。
僕が借金をして1964年に手に入れた夢のスポーツカーHONDA-S600は50万円で月給は2万5000円で月給の20倍だった。ただ国に対する信頼感に満ちていた。2015年に発売されたHONDA-S660は200万円だという。今の大卒の初任給は
20万円だというから価格は月給の10倍に過ぎない。今の若年層は将来に確信が持てず無駄金を使いたくないのだろう。
僕は昭和30年代中盤から40年代中盤の日本史上最も幸せな時期(と僕は確信する)を生きてきた。結果は《みんな仲良くお手々つないでチーパッパ》だった。
 
米国とキューバの関係が改善しつつある。中国の中南米へのちょっかいが引き金になっているようだ。そこで積ん読だった《死せる王子のためのハバナ:La Havana paraun infante difunto》を読む。いやはやマヌエル・プイグと村上春樹をごちゃ混ぜにしたような奇妙な作品だった。まてよ、この題名はモーリス・ラベルの《死せる王女のためのパバーヌ:Pavana para una infanta difunta》をパロッたものだろう。つまらない本を買った物だと後悔。
 
Lauburu | 東京で | 19:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2015/5/15

ガーデンプレースのロウリーズに友人と訪ねた。35年前にロスアンゼルスであれほど印象的だったローストビーフに何の感慨もわかなかった。僕にとって35年前は憧れの遠いアメリカだった。その後にスペインやイタリアやフランスを知って味覚が多様化したのだろう。だがこれは僕の主観に過ぎない。
TVは殆ど見ないが飲兵衛の僕は居酒屋巡り番組の大田和彦と吉田類は観る。居酒屋での酒の飲み方で僕は大田和彦が好きだ。逆の人もいるのだろう。酒は自分の流儀で飲むのが一番だ。
 
 
米メディアによれば「ブルーズの王様」と呼ばれた米国を代表するブルーズギタリストで歌手のB・B・キング氏が89歳で亡くなったという。
5年前にバスクのサン・セバスティアンのジャズフェスティバルで氏の演奏を聴いた。素晴らしいことは分かったが心の琴線に触れないのだった。13歳からジャズに親しんできたのだが。ジャズの底流に流れるブルーズ。僕のジャズへの思いは所詮上滑りのものだった。
 
Lauburu | 東京で | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2015/5/13

日経のニュースメールは語る:
『日本の現場は実は強くない、今や中国、タイ以下とも。経営陣が指示せずとも社員が自発的に動き、生産効率や顧客満足度を高める。そんな日本企業の現場力が産業を問わず崩壊の危機にひんしている。日本企業が持つ最大の強みを破壊した責任は他ならぬ経営陣自身にある』と。僕が危惧していたことだった。
お手盛り人事で追従者で脇を固めて天皇陛下気取りでふんぞり返る。後継者は自分を厚遇する人物から選ぶ。責任は自分が取ろうと現場に任せる度量もない。このような現実を見ている現場は真面目に仕事をする気にはならないだろう。
僕が社会に出たときに経団連会館で熱い思いを語ってくれた本田宗一郎、井深大、金子佐一郎氏などを思い出す。その思いを次世代に伝えられなかった僕の世代の無能さが悔やまれる。
 
 
50年ぶりに永井荷風の断腸亭日乗を読み返す。
昭和二十年五月五日。
麻布市兵衛町の旧宅焼跡を通るに兵卒の一隊諸処に大きな穴を掘りつつあり。都民所有地の焼跡は軍隊にて随意に使用することになれりと言う。軍部の横暴なる今更憤慨するも愚の至りなればそのまま捨置くより他に道なし。われらは唯その復讐として日本の国家に対して冷淡無関心な態度を取ることなり。
昭和二十年八月十五日。
今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりと言う。あたかも好し、日暮染物屋の婆、鶏肉葡萄酒を持来る、休戦の祝宴を張り皆々寝に就きぬ。
荷風は変人と言われたが世の中ではまともな人間が変人と呼ばれるらしい。
 
 
Lauburu | 東京で | 16:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2015/5/10

散歩をしていたらガーデンプレースにレストランLawry’sがあるのに気がついた。何時開店したのだろうか。僕は35年前にロサンジェルスの店に3度ほど行ったことがあるので確認したらその分店だという。素晴らしいローストビーフが楽しめる店だった。恵比寿店のレセプションの人が云うには予約はお早めにということだった。
Lawry’sの他にシカゴのステーキ店のKinzie’sも印象的だった。インターネットで調べると今でも人気店だそうだ。厚い木製のドアを押し開けると目の前に肉屋のショウケースがある。ここで好みの部位と重さと焼き方を指定する。
《エンレコウトを10オンス(280グラム)》というと《それはガキの量だよ(it’s a kid’s portion)、30オンスが普通さ》と片眼をつぶっての冗談。
僕が牛肉の《肉》の味を知ったのは米国でだった。霜降り肉は美味だが100グラムで飽きてくる。肉の味ではなくて《脂》の味なのだと知ったのだった。
スペインで僕は250グラムのエントレコットをペロリと食べてしまう。
米国滞在歴が長くアメリカンビーフショービニストの友人を誘ってLawry’sに行ってみようか。
 
 
僕は13歳から23歳まで日本文化を勉強してきた。社会に出てから40年間に思考回路を柔軟にするために英語の文献を読み、60歳を過ぎてからスペイン語の文献に傾斜した。有用だったのは確かだ。だが日本を振り返って見る必要も感じたのだった。
むかし図書館で読みふけった英国外交官Ernest Satowの幕末から明治維新への日記風記述を読み返そう、戦中戦後を日記として残した永井荷風の《断腸亭日乗》を読んでみようと新たな意欲が湧いてきた。《和魂洋才》という意味が75歳にしてやっと分かってきた。民族の誇りを持てば持つほど他民族の誇りが分かるのだった。
 
Lauburu | 東京で | 15:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2015/5/1

41歳のイチローへのMLBオフィシャルサイトの論評が興味あるものだった。
『彼のスピードは20歳代のものだ。長年の細心の鍛錬の成果だろう。MLBの若い選手に云いたいのは《もし君が一流であり続けいたいのならイチローを見習い給え》』。この科白はマキャベリの《第一人者論(君主論)》にそっくりだ。
高齢者の福祉費が国を滅ぼしかねない日本で、日本人の中高年齢者全体がイチローに学ぶ必要を感じる。
 
 
僕はスペインと係わって25年になる。多くの書物も読み勉強もしたがその延長線上を辿るだけで良いのか。所詮オレはスペイン人ではない。
スペインとのかかわりの中で《太陽と情熱の国》というフランコ時代の観光政策のスローガンが今や虚構だと知っただけでも充分だ。
75歳になったいま何か生き方を転換をしないと無為に老いぼれるだけではないのか。だが転換の種が見つからないという焦りと苛立ち。これは苦しい。これは高齢者に共通する問題なのだろうか。
 
Lauburu | 東京で | 18:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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