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思うこと〜2016/12/29

薬の副作用の味覚障害も徐々に改善されてきたが、天丼モリモリとかステーキモリモリとは無縁になった。蒲焼きとか美味しい刺身を少々とかが好みになった。思い出す。疎開先で飢えた僕を不憫に思った《大工のシゲさん》が、ボウズ一緒に来いやと言って近くの川でヤスでヤマメを獲って塩焼きにしてくれたり、川の玉石を引っくり返してカジカの魚卵を食べさせてくれた。川の傍の崖の蔓になっているマタタビの実を採って小砂利と岩塩と混ぜて塩漬けにするのだった。《ボウズ、これは体に良いんだぞ。食べてみ》。塩辛くて苦かった。いま僕はもう一度原点に戻ってみようとインターネットで新潟県特産のマタタビ漬けを購入した。涙が出るほど懐かしく切ない味だった。

 

 

《日本酒の人気銘柄「獺祭(だっさい)」の蔵元である旭酒造(山口県岩国市)は26日、商品に虫が混入していたとして、同じ日に瓶詰めされた9312本を自主回収すると発表した。健康被害の連絡はないという。(朝日新聞デジタル)》:筋金入りの飲兵衛の僕は最近の獺祭ブームを笑っている。むかし《酒》の編集長の佐々木久子氏が新潟の石本酒造の《越の寒梅》を激賞したときに品切れ続出になった。もっと自分の味覚を鍛えろよと思ったのだった。

 

 

真珠湾での安倍首相とオバマ大統領の演説を聴いて思う。両氏とも立派だった。だが僕には米国の日本に対する寛容は政治、経済、倫理の面で米国の優位が前提だと思った。なぜ中国や韓国が日本に対して不寛容なのかを考える。僕が小学校3年生のとき先生が:《賠償金を払うには日本人が全ての財産を3年間注ぎ込まなければなりません。皆さんはしっかり勉強してください》。今様に云えばGDPを3年間全て賠償に当てなければならないということだった。その時代に韓国は李承晩ラインを引いて多くの九州の漁民を拿捕し苦しめたのだった。日本人は必死に働いて賠償金を完済した。それでもなお中韓は謝罪を求めるのはなぜなのか。僕は歴史修正主義を否定するが我々は戦争責任の義務は果たしたと思っている。そこで米国の援助で奇跡の復興を遂げた日本に対する嫉妬に基づく不寛容が現れる。中韓は落ちぶれた日本が彼らにひざまづくまで誹謗し続けるだろう。日本は賠償義務は果たしたのだ堂々と生きて行こう。

 

Lauburu | 東京で | 13:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2016/12/24

初冬に入ったいま、僕は牧水の《白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり》に趣を感じる。だが肩肘張らずに文学や芸術や人生を語りあえる人と飲むのも楽しい。僕は日本酒の猪口は左手で持つ。なぜだろう。日本には箸文化があって右手では旬の酒肴をつまみ、左手では酒を愛でるのが好みだから。そういえば飲兵衛のことを《左党》と云う。僕は本当の飲兵衛なのかも知れない。

きょう僕が飲んだ相方は還暦になった女性で、僕に10年協力してくれた後で病院の医療事務に転職した人だ。身長175センチでブロンドの短髪。ダンスの名手で教室の助手をしているが中高年の男性が少ないので男役をするので《宝塚》と呼ばれるそうだ。退職した病院に健康診断に行くと医者たちに《ますます良い男なったよね》と云われると楽しそうに話すのだった。なぜ僕がこのような話をするのか。中年男性のすりきれたような状態が気に掛かるから。

 

 

池波正太郎は酒を飲めない手合いは蕎麦屋には行くなと行ったそうだ。朝っぱらから酒を飲むには蕎麦屋は僕の味方だ。スペインのバルも僕の味方だ。そこで蕎麦好きの人にお聞きしたいのは父が僕に云ったことの真贋だ。曰く:《蕎麦にはモリ蕎麦とザル蕎麦がある。モリは殻を除いた実を粉にしたヒキグルミなので味が濃いので出汁の強いつゆで食す。ザルは実の表皮を精製したものを使うので味は淡泊なので出汁は淡泊なつゆで食す》。一般的にはモリとザルの違いは刻み海苔が乗っているかいないかの違いと思われているのだが。

 

 

暮れの大掃除。僕は綺麗好きなので気がつくたびに掃除をしているので大がかりなことはしない。しかし億劫な窓ガラスの掃除は暮れに一回だけ行う。掃除をしながら子供の頃を思い出す。納戸の片付けをしていたとき賞状が入っているような筒が出てきた。何だろう。見ると父宛に出された東条英機の表彰状だった。殺人兵器たる四人の息子をつくったからだったらしい。僕は庭で落ち葉焚きしている父に渡すと父は黙って焚き火に放り込んだ。その後、このことについて父は一切触れることはなかった。

 

 

 

 

Lauburu | 東京で | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2016/12/20

高校生のときのことなのでマルローかカミユの言葉かは覚えていない:《手のひらのごとき土地の奪い合いに何故多くの若者の血が流されるのか》。時が経つにつれて僕は《領土の確保が国家存立の基本である》が国際社会の常識であると気がつく。

 

 

小池都知事の発言を聞くとカタカナ英語が乱用されている。僕は英語が苦手ではないが、日本語の文脈の中でのカタカナ英語はその言葉の定義付けに苦労する。産経新聞の記事の中で中国を評して《批判者や敵対者を許容できないナイーブさともろさを権力が抱えている》。この中で《ナイーブ》とは日本語でどう表現するのだろう。僕は《幼児性》と理解するのだが皆さんはどうなのだろうか。正確な日本語で意思表示して欲しい。

 

ゆっくりと食べて飲むのが大好きな僕には、忘年会やクリスマスの年末は料理の画一さと混雑で最悪な時期だ。そこで僕は食いしん坊の友人と横浜関内の鰻の老舗《わかな》に行く。時間も中途半端な時間の4時を選んで行く。老舗なのに鰻を差し置いて僕は鶏のモツ焼きは絶品だと思う。専門店の焼き鳥は美味しいが、蕎麦屋の《かえし》の焼き鶏や鰻屋のたれの焼き鶏も別な趣がある。それにしても《わかな》のご飯の美味しいこと。鰻に輝きを与えている。

Lauburu | 東京で | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

恵比寿にて〜2016/12/19

師走になると一緒に仕事をした僕よりも若い人たちが《放談会》をしましょうと誘ってくれる。僕は現役の時にスタッフに忘年会について話した:《年を忘れようの意味を考えようよ。昔の庄屋とか企業経営者が貧しくつらい生活をおくる民草にご馳走し恩恵を与えて懐柔しただけの話しなのです。だから僕は《忘年会》という発想が厭なのです。でも僕はあなた方が忘年会をするなとは言いません》。驚いたのは若い優秀な女性スタッフが:《私は飲んだくれ会などは嫌いです。その前に、あなたは別のコミュニケーション手段を明言すべきだと思いますが》。僕は《…》

 

MLBで僕が一番興味のある田沢純一がMLBのマーリンズと2年15億円で契約した。日本のプロ野球機構(NPB)は、我々を袖にしてMLBに行った田沢は日本に帰っても2年間はプレイさせないという世にも愚かな《田沢ルール》を作ってしまった。僕が調べた範囲では田沢のMLBの10年の所得は約30億円だ。彼がNPBにいたら多めに見積もっても6億円だろう。自信がある若者は日本にこだわる必要はない。とくに女性は順応性が高いので、優秀な女性は日本の旧弊な大企業の論理に縛られるのはもったいなさ過ぎると思う。

 

Lauburu | 東京で | 12:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2016/12/17

《日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる、生産性向上を阻む「昭和の思考」という呪縛(東洋経済)》 :僕はそれ程までに悲観していない。僕は五回転職していてその内の二回は自分で新会社を立ち上げたが最初に何をしたか。無駄な仕事を切り捨てた。日本の会社員の業務の30%は従来の仕事の垂れ流しだったからだ。電通の若い社員が過労で自死した。自分の職責をかけて苦悩する若者を救う指揮官が不在なのは悲しい。若い魂を見殺しにしてしまった。

Lauburu | 東京で | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2016/12/15

《忠臣蔵の美談は、ほとんど大ウソだった! 赤穂義士、仇討ちは「就活」が目的?(東洋経済)》:   僕の家は高輪泉岳寺まで15分の距離だったが誰も泉岳寺に行ったことはなかった。父は云った:《御家取りつぶしにあって困窮した連中が元禄の平時に乱を起こせば、巨人や阪神が札束を抱えて歓迎すると思っていたのだろう。死罪とは当て外れもいいところだったのだろうな》。僕は父の本質を見る力を受け継ぎたいと何時もおもっていた。

 

オスプレイが給油作業を失敗して墜落した(米国ではcrash:墜落と表現している)事件で思い出した。今から50年前の1966年に水爆を4基積んだ米軍機がコスタデルソルのアルメリア市上空で給油に失敗して墜落した。水爆3基は陸上に1基は海中に落ち、陸上の2基は弾頭が破壊して広範囲にプルトニュームが飛散した。当時は東西冷戦の最中で反共の独裁者フランコと米軍は国民にこれを過小評価して伝えたのだった。その後スペイン政府は高濃度汚染地区を買収して隔離地区としたが、現在でも環境団体はより広範囲の汚染に警鐘を鳴らしている。僕が思うのは軍事機密が絡むと人間は信じられないような噓をつくと言うことだった。

Lauburu | 東京で | 11:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2016/12/13

カジノ法案を何でゴリ押しで通そうとするのだろう。約20年前を思い出す。バルセロナからジェノアに向かっているときにモナコ公国に立ち寄った。僕はモナコには何の興味もなかったが車を止めて街を眺めているうちに或る感慨が頭に浮かんだ:《博打の寺銭やそこに集まる金満家の落とす泡銭で成り立つ集合体を国家と呼べるのだろうか》

 

 

TVニュースで小池都知事が《アンシャン・レジーム:ancien régime》という言葉を使ったので僕は噴き出してしまった。この言葉はアレクシ・ド・トクビルが米国の民主主義に対比してフランスの王制を批判したものだ。笑ったのには理由がある。僕が中学生のとき大学生たちはあまり美しくない女性を《レジーム》とこっそりとつぶやいた。《?》。《レジーム》の裏で《アンシャン》を表現していたようだ。《アンシャン》とは何だ?ドイツ語の《unschön:美しくない》に由来するという。向かいの大学生は勉強していたのだと理解する。

Lauburu | 東京で | 12:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2016/12/6

五輪など20年以上無視してきた僕は、いまの東京の五輪予算狂想曲をおもしろがっている。2020年の五輪開催地が決定されたとき僕はイルンにいた。東京、マドリード、イスタンブールのうちイスタンブールは内政問題で脱落して東京とマドリードの一騎打ちになるだろうと思った。招致委員会でのプレゼンのマドリード市長(アスナール前首相夫人)は悲惨だった。なぜ支離滅裂な英語の演説をしたのだろう。スペインの人はもうダメだと頭を抱えた。僕も頭を抱えた:東京になったらどうしよう。不幸にして的中したのだった。誰が儲かるのか:云う必要もあるまい。

 

 

ノロウイルス感染の危険性があるとの理由で地方自治体が餅つき大会を止めているという。高輪に住んでいたとき我が家には父と四人の息子がいたので暮れには十臼の餅をついた。伸し餅と鏡餅を作って、最後の一臼は熱湯を張った桶に入れてから、ちぎって餡子、きなこ、大根おろし、刻み納豆を絡めて食べるのだった。汗まみれで空腹の身体には最高のご馳走だった。このような日本の風物詩が消えて行くのは時の流れだろうか。最近では除夜の鐘がうるさいという苦情が寺によせられているという。餅つきも除夜の鐘も僕の世代の郷愁にすぎないのだろうか。

 

 

僕は聞いたこともなければ見たこともないコンビの《銀シャリ》がM−1で優勝したという。ふと思う:いまの若い世代は《銀シャリ》にどのようなイメージを持っているのだろう。僕が通っていた中学は比較的裕福な家庭が多かったが昭和28年当時は食料事情が悪くて弁当は麦飯だった。ある日弁当の蓋を開けては一口食べて蓋を閉じる生徒がいた。一人が不審に思って覗き込んで立ち上がって《お〜い、こいつの弁当は銀シャリだぞぉ〜》皆は立ち上がってそこに集まった《どれどれどれ》と言いながら。《銀シャリは》輝く憧れの対象だった。その後日本は急速に豊かになって行く。朝鮮民族同士の不幸な殺戮を糧にしながら。

Lauburu | 東京で | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

思うこと〜2016/12/2

フィデル・カストロ氏が他界した。キューバ革命後に一国革命を信条とするカストロに、世界革命を信条とするゲバラは別れを告げた。その時にカストロはゲバラにキューバに戻ってきたら歓迎するよといった。一国革命を信条とするスターリンに対して、世界革命を信条としたトロツキーは身の危険を察してメキシコに逃亡した。メキシコでフリーダ・カーロなどと安穏な人生を送っていたトロツキー。スターリンの刺客が彼の命を断ったのだった。僕はいつもカストロとスターリンの人間への思いを対比している。

 

 

最近、メディアの記事によって谷根千が静かなブームになっているらしい。詳しくは台東区谷中、根津、千駄木の総称だ。この地区は戦災に遭わずに昔の町並みが残っていて、ここに住む中学の同級生の家に良く遊びに行ったものだった。《近くに開成があるのに何故麻布に入ったの》《ただ麻布の校風が好きだっただけさ》。彼は早世したが一緒に行った台東区根岸の洋食屋の香味屋(カミヤ)は素晴らしかった。堅苦しくはないが品格がある。ここのタンシチューは僕にとっては絶品だ。もう10年も云っていないので是非再訪したいと思っている。

 

 

10年も前だったろうか、ラジオが好きな僕は本を読みながらDJを聞いていたとき、オヤッと思う旋律が耳に入ってきた。耳を澄ますとDJが:《はじまりはいつも雨でした。作詞作曲はアスカでした》。アスカ?飛鳥?一体何者なのだろう?初めて宇多田ヒカルを聞いたとき以来のワクワク感だった。覚醒剤の恐ろしさを有名人を血祭りにあげて喧伝するのも一法だろうが、個人の尊厳を大切にするのはもっと大切だ。メディアが売らんがための猟奇に陥っていると思うのは僕だけだろうか。僕はYouTubeで《はじまりはいつも雨》を聴く。

 

Lauburu | 東京で | 14:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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